刻ノ宮の中でも、東の丘には大きな桜の木があった。

 少女がそこへ、初めて一人で行ったのは、父親の葬式の日だった。



     外伝 第3話 『桜散るこの丘で』



 桃色というには薄い……白い花を咲かせる桜の木。

 家で邪魔扱いされたため、逃げるようにここへ来てしまった。

 父親といえど、あの広い家の中では滅多に会うことを許されなかったためか、これといった悲しみもない。

 誕生日でさえ、祝ってもらえなかったのだ。当然かもしれない。







 花冠を作り始め、しばらく経った頃、丘に影が落ちた。

 人の気配には敏感な方だったのだから、相手が意図的に隠していたと考えるしかない。

 ビクビクと顔を上げると、こちらを見ながら微笑む視線を見つけた。

「おにーちゃんは、だぁれ?」

「――――さぁ?」

「さっきから、ずぅーっといたの?」

「――――さぁ?」

「おにーちゃ」

「名前は?」

 ずっと尋ねていたところを、尋ね返された少女は目を瞬かせた。

「うじゅき。しんぎうじゅき」

 満面の笑みで答えると、少年(おそらく八歳前後)は額にしわを刻んだ。

 自分は名前を言っただけ、と少女――卯月は訝しげに思う。

「誰かに言われなかった? 名前を知られては、縛られると。特に、鬼には気をつけろって」

「しらない。うじゅきは『おにがちかじゅけない』からまもらないって、まえにちちうえがいってた」

「ふーん。じゃ、オレは特別カナ?」

 ゆっりと、少年は近づく。

 不思議なことに、怖いとは微塵も思わなかった。

「……なんで?」

「オレの名前はしき。祀る鬼と書いて祀鬼」

 真っ白な髪に赤い目――アルビノの少年は、それだけ告げると『また来年、この場所で』と言い残し去っていった。











桜散る
    丘で我は
         出会いたる

父のいない
        静かなる日に












 ゆっくりとした一年が過ぎた。

 父がいなくなったことで、家の中は穏やかになったと思う。

 今は、全てを祖母が仕切っていた。

 月人の痣を持って生まれたからなのか、力は強い。

 本家に生まれた以上、家業を継ぐのは当然とされた。

 悪霊を追い払うなどを請け負う、除霊師の一族に生まれた運命(さだめ)だった。





 + + +





 父の命日、再び丘へと向かった。

 淡い桃色がかった白の花は、今年も咲き誇っていた。

「約束、覚えてくれてたんだ?」

 アルビノの少年が、去年と変わらずそこにいた。

 卯月と同じ黒い服で、白い髪がいやに栄える。

「……しき?」

「名前も覚えてくれたんだ」

 少年は嬉しそうに頬を染めた。

 それがなんだか嬉しくて、つられるようにして卯月も顔を赤らめる。

 ただそれだけで幸せで、普段と違う物がこの世界を埋め尽くして、幻のように思える。











まぼろしと
      消えぬようにと
              願おうぞ

全てを忘るる
        穏やかな刻












 日を数えるようになったのは、そのころから。

 桜散る、父の命日はまだかと。

 自らを鬼と呼ぶ、あの少年に会える日はまだか、と。







 + + +







 六歳になった年の最後の月。

 巫女が五歳になった祭りが行われた。

 一年をとおして賑やかだった刻ノ宮での、最後の締めくくりである。

 祖母に連れられて、お社まで赴いた帰りのことだった。

 見慣れた白を視界の端に捕らえた気がして、祖母の手を振りきると池の向こうの森へと駆けだした。

 今まで、普段会えないのは何故と、思ったことはなかった。

 だから、この偶然を少なからず喜んだ。

「しーきー! しきぃー?」

 声はこだまする。

 しかし、広がるのは真っ暗な闇だけ。

 見間違いだったのだろうか?

 やはり、あの桜の丘でしか会えないのだろうか?

 卯月が落胆しかけた頃、気配に気がついた。

 やはり、何かいる。

 そしてこれは、人外の物ではない。こちらに悟られないように隠しているから、分かりにくいだけだ。

 守りの符を取り出すと、右手で扇のように広げた。

「かくれてもむだですわ。でていらっしゃい!」

 辺りの木がざわめく。

 人外の者ならば、問答無用で攻撃するが、そうもいかない。

 除霊師は霊など以外を攻撃してはならないのだ。

 相手は動かない。ならば、仕方がない。

「壱とせ弐とせ参肆(さんし)で初め、伍(いつ)とせ六(む)とせ七夜の巡り、個々の十(とお)にて全てを終えゆ。ひと・ふた・み・よ・いつ・む・なな・や・ここの・たり!」

 数を数えながら、左手で一枚ずつ符を宙に放つ。

 人形にそろえられた『それ』は、くるくると回転し、四方に飛び去った。



「くっ」

 人形の符に追いやられた人影が、少し経って上から落下してきた。

 背格好からして、十歳くらい。

 闇にとけ込むような真っ黒な衣装に、白く長い髪。

 月明かりに照らされた両眼は、深い蒼の色。

 そして、鉄さびのようなにおいをまとっていた。

(しきじゃなかった)

「あんた、どういうつもり?」

「にげたのはそっちですわ。それにもどってらしたのもそっちでしょう?」

 驚いたのは少女――卯月はそう感じた――の方である。

 確かに、一度は去りかけて、気になって戻ってきたのだ。

 そこを、あの人形に襲われた。

 小さい割に、食えない相手と注意深く様子をうかがう。

「……名前は?」

「そちらからなのるのが、れいぎではありませんの?」

「――静かなる刃(やいば)と書いて、静刃(しずは)」

「卯月ですわ。卯の花の月」

 少女――静刃は警戒していた手をゆるめた。

「あんたも、月人か」

 そして、吐き捨てるように言い切ったのである。

 こちらを向く蒼の目が、冷たく細められた。

 『も』ということは、少なくとも卯月以外の月人を知っていることになる。

 だが、それにしては……

「月人ならば仕方ない。私をここで見たことは忘れろ。本来なら消さねばならないのだから」

「どうして、月人なら?」

「一族に月人の一人が生まれたから、だ。……だが、月人など不幸の証。権力争いに使われて……だから、親を消される子供がでてくる」

 その口調は、仮定の話をしているにしては、ハッキリしすぎていた。

 ざんばらに切られた白髪が、風に揺れる。

「――あんたも気をつけな。いつか、酷い目にあうよ」

「それは、どう……」

 卯月の問いは、形にならないまま、静刃の姿がその場から消えた。





 翌日、月人の兄弟以外の、時神(ときがみ)家の者が殺された、という噂を耳にした。

 白髪に蒼の目が、どこの一族かと祖母に聞けば、雪神(ゆきがみ)一族だと答えた。

 雪神一族は狩人の一族。

 そして、裏の顔は暗殺者。

 刻ノ宮にいくつかある、裏表の顔を持つ一族である。

 勿論、神木の一族も例外ではない。

 表は除霊師。裏では、呪術などを扱っている。

 これは、術の性質上仕方のないことでもあった。

 静刃の纏っていた血のにおいから察するに、見たことを忘れなければならないのは、時神家のことだろう。

 誰かに頼まれて、月人以外の者を殺したのだから。

 兄弟がどんなに探しても、誰が殺したかなど分からないように。

 真実を知る唯一の目撃者は、全てを闇の中へ閉じ込めた。







 + + +







 12歳の時、刻ノ宮の長が変わった。

 そしてその年の春、あの桜の丘に、祀鬼は現れなかった。

 ぬぐいきれない不安におそわれ、眠れない日々の続いた数日後。

 運命の女神は残酷に微笑みかけたのだった。



「卯月、おまえに黙っていたことがある」

 祖母に呼ばれ、いつもは踏み入れぬ、西側へ赴いた。

 西側は分家の領域で、東側に住む本家の人間は、滅多に踏み入れることはないのである。

「……おばあさま?」

「先代当主……おまえの父は大層な浮気性でな、分家の方にお前の異母兄弟がいるのだよ」

「……っそれは!」

「すまない。葬式の時点で知ってはいたが、あまり幼いうちに話すのはと思ってな。だが、もうよいだろう――」

「失礼いたします」

 ――その気配には覚えがあった。

 あるようでない、人とも霊とも違う独特の気配。

「族長様がお呼びとのことで、参りました」

 スラリとした長身、落ち着いた低い声。

 目にかかる、真ん中で分けられた白い髪。

 そして、ゆっくりとあげられた顔に見える、開かれた双眸は赤。

「神木ではなく、母方の姓を名乗っていたかな。雪神祀鬼じゃ。おそらく両家の血が濃く、お前に次いで力は強い」

 こちらを向く、アルビノの青年――祀鬼の顔に、表情はなかった。

 綺麗だと思った赤い目は、生気の見受けられない冷たい色。

 卯月は、息をすることさえ忘れそうだった。





 + + +





 その日、桜の丘へ赴くと、そこに人影があった。

 家の中とは違う、いつもの祀鬼のハズだ。

 だが、卯月は声をかけることを躊躇ってしまった。

 色々な疑問が、頭の中をぐるぐるとから回っている。

 言いたいことは沢山あるのに、うまい言葉が出てこない。

 だが、こちらに気づいた祀鬼は、いつものように微笑みかけてきたのである。

「初めて会った時から知っていた、と言ったら怒るか?」

「怒っていませんわ。たとえ、そうだとしても、ワタクシは貴方のことを……ん」

 腰を抱き寄せられ、上を向かされたかと思うと、口を祀鬼のそれで塞がれた。

 初めてではないが、やはりどこか気恥ずかしい。

 卯月の頬が、徐々に薔薇色に染まっていく。

 長い間その状態でいたからか、離れる時には二人の間に銀糸が伝った。

「それは、オレも同じ。それに、本当に兄妹か分からないし」

「え?」

「おふくろは確かに雪神家の者だけど、親父が神木の誰かって位で正しくはない。力が強いから、本家の者の子だって言われただけで……」

 不安そうに見上げた卯月の頭を、くしゃりとかき混ぜた。

「大丈夫だよ、卯月。誰にも分からないさ――」

 その言葉がずっと続けばいいと、その時は思っていた。











いつの日か
      とぎれる事よ
             それ全て

神のみぞ知る
         終わりの運命(さだめ)












 それから六年後。

 卯月は18歳を迎えていた。

 このころから、幼き日に聞いた静刃の言葉に引っかかりを覚え始めていた。

(ワタクシは――不幸になんてならない)

 あれ以来、彼女と会っていない。

 雪神一族と仕事をすることはあっても、全く別人と出会うばかりであった。

 そんなある日。

「卯月。最近誰かの視線を感じないか?」

「時折なら」

 元々、人目を集める方ではあったから、殺意以外の視線は気にとめていなかった。

 だが、祀鬼がこう言うのならば、少し気を配るべきだろうか?

 祀鬼はしっかりと卯月を抱きしめ、耳元でささやいた。

「気をつけた方がいい。何か嫌な予感がする」

「……え?」

 パキン、と枝の折れる音が聞こえた。

 はじかれるように、二人は振り返る。

 卯月の左腕を持ったままだった祀鬼の手に、力が入ったかのように感じた。

 見覚えのある白く長い髪、冷たい蒼の瞳、大人の女性となったあの静刃が、そこにたたずんでいた。

 彼女が足音を立てるような事はしないだろう。となれば、わざわざ先ほどの音を立てたとしか思えない。

「だから――言ったでしょう。月人は不幸の証だと」

「っどうして貴女が……」

「卯月、黙ってて」

 卯月の真後ろに回った祀鬼が、敵意をむき出しにしていた。

 だが、抱きすくめられてしまい、その表情を伺うことはできない。

 対する静刃も、表情を変えないため、余計に何が何だか分からなかった。

「雪神の長は、オレをどうかする、か?」

「いいえ。今回は刻ノ宮を統べる長からの命令。別に、命を取ろうって訳ではないわ」

「何故、今更になってこんな探るようなことを! ワタクシは……ワタクシ達はっ!」

「月人に生まれたということが、どういう意味か分かっているの?!」

 探るように問いただそうとした卯月に、静刃は質問という答えを提示してきた。

 そして、彼女がこれほどまでに声を荒げるのは珍しいのではないか、と思う。

 普段から冷静にしていて、大声をあげるような人間には見えなかったからである。

「ただの人としての自由はおろか、心を壊しかねない危うい存在なのよっ! そして、その自由には……当然のように想い人も含まれるの」

 自分がそれほど拘束されている存在とは、卯月は思っていなかった。

 今まで生きてきて、他の人と違いなどあっただろうか?

「新しい長の命令は、卯月。あなたに関わりある人物について調べること。あなたにとっての最悪の事態さえ存在する。この決定は……決して覆ることはないわ」

 言い切った静刃の目には、雫がたまっていた。それが何を意味するかまでは分からない。

 だが。

 だが、彼女は……誰かと卯月を重ねてみているようにも見えた。

「こうなると、知っていたんだ。それでもオレは……」

「し……き?」

「ごめん、卯月。君しか愛せないのに、オレはやっぱり君のそばにいちゃいけないんだ」

 卯月の目が大きく見開かれる。

 抱きしめて、頬に手を寄せて……祀鬼は悲しげに目を伏せた。

「し……」

 言葉をかけたいのに、言葉がでなくて。

 そうしているうちに、頬から相手の体温が感じられなくなっていた。

「さようなら、卯月。……ごめん、ね」





 + + +





 それは、全ての月人がそろってしまった、刻ノ宮 終幕の始まりの春。

 優しく笑う暖かな風が、牙をむいた僅かな刻。

 卯月とその家系の運命(さだめ)は、この刻から曲がってしまったのかもしれない。











かの人に
     悲しき別れを
           告げられた

あの日と同じ
         桜散る丘












 数日後、静刃から知らせが届いた。

 祀鬼の処分が下った、と。

 時間に余裕はなく、間に合うかは分からない。

 それでもいいから、と卯月はあわてて外と刻ノ宮との境の門へ向かった。

 境の門が開かれることはほとんど無い。

 開くとすれば、役目で外の様子を見る者が出入りする時、そして刻ノ宮からの追放。

 卯月にとっての最悪の事態であった。

(お願いだから、間に合って。もう一度、もう一度、彼とっ)

 息せき切らせ、たどり着いた門には、何人かの老人達と、祀鬼、そして巫女がいた。

 静刃の姿はない、おそらくこれだけの偉人がいるから裏に回ったのだろう。

「し、祀鬼!」

 ゆっくりと振り返った彼の目は冷たく、何故か虚ろだった。

 あわてて駆け寄ろうとする卯月の腕を、巫女のそばにいた少女が掴み、歩を止めた。

「何を」

「巫女の邪魔は許さない。そこを動くな」

 あまり歳差のない少女であるはずなのに、言葉には重みがあった。

 慣れているはずなのに、どういうわけか気圧される。

 盲目の少女は、しっかりと腕を掴んだまま、動こうとはしなかった。

 周りに導かれるまま、祀鬼の足は刻ノ宮から遠ざかる。

「離してくださいまし! 彼を……彼が、行ってしまう!」

 盲目の少女は、ゆっくりと首を横に振った。

「……愛さえ、縛られなければならないんですの? ワタクシ達はっ!」

 その声は、誰かに届いただろうか。





 + + +





 丘の桜が別れを告げた。

 白い花は哀れな人を見守るだけ。

 力では心まで縛ることはできない。

 その大事なことに、今はまだ……彼女は気づいていなかった。


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おまけ的、外伝解説。

外伝 第3弾でございます。
短歌が所々混じってます。あ、趣味です。(笑)この話のイメージ的にあうかなと。
呪文も相変わらずオリジナルです。最初の漢字も全部数字です。八と九だけ当て字にしてますが。
今回は神木 卯月(しんぎうづき)ちゃん話です。
彼女は……本編での紅葉が聞いた言葉を決めた時点で、結ばれない恋をしたということにしてありました。
最初は実は、一番歳の近い長月が相手のつもりでしたが、彼の方で霜月との関わりを書いてしまったので、変えました。
ああ、私に恋愛モノはここが限界です(苦笑)体験もないのに、その先なんて書けるかー(待てコラ)
初神の霜月が、実は言霊らしきモノを使ってます。さて、その真相は?(ぉ)
ああ、最後の『彼女』が誰を指すかは、ご想像にお任せします。

さてさて、分かりましたでしょうか? 微妙に前の話とリンクしてます。次にもリンクしている予定。(次に書きたいのは雪神の子だから(笑))
時神家で起こった、長月となづきの兄弟以外の死。多分、長月は薄々感づいてそうですがね。

最後に、今回の登場人物に関して。
祀鬼は、卯月よりも5つほど年上設定。
結局兄妹かどうかは分からずじまいで、彼は巫女の力により全てを忘れ、外の世界で一生を終えます。
名前は『しき』という音の方が先で、鬼の文字を入れることも決めてました。『し』の方を『祀る』にするか『祠』にするか迷ったんですけどね。
それから静刃。
隠密系なので、それっぽい名前をつけてみました。(笑)
まだ細かくは言えません。多分、次回もちろっと出てきそうだから。
彼女をだしたのは、次のためのリンクが少し。それと、祀鬼の雪神家の方の知り合いがほしかったから。
ちょうどこの二人は、同い年なので、交流があったんです。

今回後書き長いな……ではでは。

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