翌日、町はミルク色の濃い霧に包まれた。 右を見ても白。左を見ても白。当然、前も後ろも真っ白というわけである。 「……見えない」 屋敷に向かう道を歩いていたが、サイナは立ち止まった。 道の先が全く見えない。まさかここまで濃い霧になるとは思ってもいなかった。 すぐ傍らには召喚獣 無古龍(むこりゅう)のクイナが飛んでいるはずなのだが、その背にある黒い蝙蝠のような翼までもが見えないのだ。 「クイナ……好都合かもしれないけどさ、大丈夫?」 "さして問題はありません。それにしても珍しいですね、サイナがここまで本気になるとは" 「それは、ある意味酷いよクイナ。確かに僕はめんどくさがりだけど」 相変わらずゆったりとした口調で語りかけるクイナは、おそらく笑っているのだろう。 サイナは再び足を進め始めたが、速度は断然遅い。 むくれている辺りを見ると、どうやらめんどくさがりの自覚はあるらしい。 "あの魔法術士の青年は……貴方と同じかもしれませんよ" 「え?」 "あの目はクストと同じ色と力。目の脇にあった円の痣。貴方にあるログノと同じ痣と似て……" 意外な言動に、クスリと、サイナは微笑んだ。 「さぁ、どうだろうね。でも、そうだとすればおもしろいに越したことはない。何か起きそうだろ?」 "まったく……初めは信じないといっていたのは、どこのどなたですか?" そのとたん、サイナの顔は豹変した。 「初めは……ね。人の命を大事にしない奴は大嫌いさ。それと同じ、いやそれ以上に僕は僕自身が嫌いだ。でも、あいつは……ナトレは違ったから」 "それはよいことですよ。貴方に同年齢の友達など久々ですし……" 「……っともかく、行くよクイナ!」 "……承知" 少々赤くなった顔を見て、クイナが微笑んだことなどサイナは気づかなかった。 + + + 書斎にいた依頼主は、無表情のまま迎えてくれた。 怒っているのか、それともこちらのことを全く気にしていないのか……計り知れない。 「随分と遅かったね。後一日待ってこなければ、渡すつもりはなくなっていたのだが」 「こちらにも少々事情がありまして……それで、受け取るのが遅くなってしまったのです」 「まぁ、いいだろう。これが約束の報酬だ」 顔に笑顔を貼り付けるのが精一杯で、投げつけられた物を受け取る時によろけてしまった。 しかし、理由はそれだけではない。渡された茶色い古びた袋は妙に重かったのだ。 「……こんなに?」 「まぁ、色々と、な。さてと、こっちの鳥君もかえさなくては」 ひときわ大きな鳥かごの扉を開けると、依頼主は琥珀をつまみ出した。 琥珀は大人しくしているように見えるが、サイナには文句がブツブツと聞こえてきた。 それを黙殺して、サイナはかごの中に、琥珀とは別の生き物を見つけた。 翠色の琥珀と同じくらいの大きさの鳥が一匹。首の長い鳥で、同じくらい尾の長さもある。 とさかのように、一枚だけ長い孔雀のような羽根が頭の頂点についていた。 (あれが、翡翠か) 「失礼ですが、そちらの鳥は?」 あくまで何も知らぬそぶりで、サイナは依頼主に尋ねた。 「ああ、あれは預かりものだ」 琥珀をサイナに渡しながら、彼は表情を変えない。 一か八か、持ちかけてみるしかない。 「僕の知り合いのモノにそっくりなのですが、近くで見てもよろしいですか?」 『ご主人! それは……』 「……傷を付けないのならば、構わない」 「それでは、失礼して」 サイナは鳥かごの中に手を入れた。 そして、依頼主に聞こえないように言葉を発する。 「翡翠君だよね? ナトレから話は聞いてるんだ。僕と一緒に来てくれないか?」 初め翡翠はサイナを警戒していたが、ナトレの名に反応し入り口まで近づいてきた。 話の分かる相手でよかった、と思う。 『旦那の? いいでしょう、ついていきますよ』 「それはよかった」 自ら鳥かごの扉をくぐると、手の上に乗った。 琥珀と大差ない体躯だが、僅かに軽い。 翼を伸ばす二匹を片目に、そのままサイナは扉に向かうが、その肩を掴む手が一つ。 「どこへつれていく」 「ああ、そうだ」 予想通りの展開だ。 ここまでは勿論予定通り。 後は、最後の合図だけである。 聞かれた質問には答えず、サイナは微笑んだ。 「やってはいけないことをやると、どうなるか知っていますか?」 窓が音を立てて、開いた。 サイナは一歩後ろへ下がる。 依頼主はその音に驚き後ろを振り向いたため、気づいていない。 その耳に、ささやくような子供の声が聞こえた。 「知ってる? ……当然の報いを受けるって」 なま暖かい風が部屋に流れ込み、窓の外には漆黒の闇が見えた。 悪寒が走り、慌ててサイナの方を向くと、そこにいたのは一人の老人。 白目をむき、頭からは血を流している。 のばしてくる指は、血の気のまったくない土色。 '何故……このようなことを……' 依頼主の顔から、血の気が失せた。 「な、なんでここに。昨日死んだはずでは?!」 逃げようにも、足はその場に張り付き動くことができない。 'なぁぁぜえぇぇぇ' 「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」 そんな依頼主の叫び声を、サイナは中庭で聞いていた。 「……ちょっと、やりすぎたかなぁ」 窓の外で、闇の幻を創っていたクイナを帰すと、サイナは呟いた。 『あれぐらい、当然の報いっス』 「琥珀……」 どうやらずっとかごにいたので、気が立っているらしい。 肩の上で暴れないで欲しいなぁ と、サイナはつくづく思ったのだった。 back top next |
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