第1話『接触』

 準々決勝も第一試合だった為、二人は朝から闘技場に来ていた。

 今度の相手も二回戦同様大したことはなさそうである。





 ……というか、実際大した相手ではなかった。

 一回戦の相手が強すぎたというのだろうか?

 くじ引きの運と言ってしまえばそうなのだが、二人共もう少々強い相手と当たればいいのに……と思っていた。





 客席に繋がる扉に向かい、控え室の廊下を歩いていた時にふとサイナが立ち止まった。

 しきりに辺りに目を向けている。

 さすがに不審に思ったのか、ナトレが訝しげに見たのだった。

「どないしたん? さっきっから」

「何か視線を感じてね……それと"におい"カナ」

「におい?」

「そ」

 忘れたくとも忘れられない過去の"におい"。

 鼻を突く、少し腐乱臭の混じったような、自分が罪人のであることを思い知らされる物だ。

 そんな"におい"を纏う人物がこの近くにいる。

 それだけで、サイナには嫌悪感がつのり、孤独が押し寄せてきていた。

 一方のナトレは突如匂いなどと言われても、何のことかさっぱりである。

 疑問符を頭上に浮かべると、どうしようかと思案し始めた。





 + + +





 そのようなことをしている二人の方へ向かってくる人物が二人。

 長身の白衣に黒いネクタイを締めた、背中の中程まではあろう灰色髪の男性。

 前髪は顎よりも下まであり、真ん中で分けてあるため少し目にかかっている。

 左側のレンズだけが紫の細長い眼鏡をかけている。

 横を歩いているのは腰の辺りまである金髪に、赤い目の少女。

 歳は十くらいで、大きな黒い猫のぬいぐるみを持っており、みえるのはピンクのブラウスの袖と赤いスカートだけである。





 すれ違うのかと思いきや、その二人はサイナ達の目の前で立ち止まった。

 サイナの指が微かに震えている。

 右肩の琥珀と、隣のナトレだけはそのことに気付いていた。

 白衣の人物は目を細めると、口元だけで微笑んだ。

 閉ざされた左目はその動きをしても、ぴくりとも動かない。

 おそらく右目だけしか視力はないのだろう。

「お初にお目にかかります、銀狼の召喚術士君」

「しょっかぁ。Dr(ドクター)の見つけたのは、この子のことだったのでしゅね」

 隣の少女は実に子供らしい笑みを浮かべているのだが、それはどこか違和感があった。

 本来子供が笑う自然なものではなく、どこか怖い。

 クスクスと笑う二人を睨むと、サイナはやっとの思いで口を開いた。

「そちらが僕を知っているのは大いに結構です。でも、話しかけたのなら名乗っていただけませんか? 用がないのなら、先を急ぎます」

「これはこれは……失礼。陸杜(ロクト)にて医者を生業(なりわい)とするクェルタ=ズージアと申します。以後お見知り置きを」

 首を傾けると肩に乗った髪がさらりと流れる。

 クェルタ……どこかで聞き覚えのある名だった。

「Dr? ご用事はしゅみましぃた? キーカはしょろしょろお腹がしゅきましぃた」

「Myエンジェル。すみませんね、もうすぐ終わりますから」

 他愛のない会話をする二人を横目で追いながら、サイナは記憶の糸を必死でたぐり寄せていた。

(Dr……ドクター……まさか)

「赤黒白衣のDr……」

「おや、その名をご存じでしたか。クスッ…大丈夫ですよ、今回の大会のルール上本来の力は出せませんし。その峰打ちの力を試すべく、出ていますがね」

「こういうのも、たまにはおもしぃろいでしゅからね〜」

 赤黒白衣のDrと言う異名を持つ人物は、陸杜でかなり有名である。

 医者を生業とするとはよく言ったもので、真逆の仕事――暗殺業も営んでいるはずである。

 どちらにしろ腕はまさに天下一品。そして、刃物の扱いは神業と称されるほどだ。

 武器づくりを趣味としていて、それを扱う相棒がいるとも聞いている。

 とすると、隣にいる少女がそれに当たるのだろうか?

 見た感じでは十歳ほどの少女。

 しかし、この大会に出場していると言うことは、十五歳より上のハズである。





 サイナの感じていた"におい"の元はおそらく彼だ。

 暗殺業……と言うことは、その身に染みついているのは裏の"におい"。

 もっとも嫌いな人の血の……人殺しという名の"におい"だ。

 サイナは口元に手を当てると、背中を丸めた。

 かなり気分が悪そうだ。

 ナトレは突如そうなった姿にギョッとすると、クェルタの方を向いた。

「なんや知らんけど、急ぎのようでもないんやらもうええやろ? サイナ、ごっつ気分悪そうやし」

「クスクス……まぁいいでしょう。ワタシが見て差し上げてもよろしいのですが。参りましょうか、Myエンジェル。試合の番が回ってくる前に」

「は〜い」

 そのまま二人はサイナ達が歩いてきた方へ消えていった。





 + + +





「う゛……」

 端によると、サイナはとうとう嘔吐してしまった。

 落ち着くようにナトレは背をポンポンと叩いてやる。

 何がそこまで嫌なのかはまだ聞かないでおこうと思いながら。

「サイナ、平気になったら風あたりに行こうな〜深呼吸でもして、落ち着きぃ」

 あのにおいはもう消えていた。

 やはり、クェルタと言ったあの男の影響だったのだろう。

 人殺しは嫌いだ、それ故に自分自身がこの世で一番嫌いだ。

 あの男と同じにおいが、自分にも染みついているのだから。

 紅を見ると思い出す。

 あのにおいを感じると思い出す。

 罪人の証……

「う、ん。ありがと……」

 傍らに飛ぶ琥珀と翡翠が心配そうに見つめていたのだった。







 + + +







「クスッ……やはり、見込み通りでしたね」

「みこみでしゅか? キーカにはじぇんじぇんわかりましぇん」

「気付きませんでしたか、Myエンジェル。彼はワタシ達の持つ"におい"に気付いていてようです。どうやら、同じ……」

 ひざに手を当て少しかがみ込み、キーカに視線を合わせる。

 キーカはリュックになっている猫のぬいぐるみを背負うと、わからない、という目線を返した。

「では問いましょう、Myエンジェル。今日持ってきたぬいぐるみの中身は……?」

「猫しゃんでしゅから……刃物類が入って」

「そう、そしていつも仕事の後、手入れをする前にそのまま貴方はいれますよね?」

「はい、しょうで……あ!」

 少々のけぞった時にずれてしまった赤いカチューシャを直すと、キーカは両腕を差し出した。

 クェルタは微笑むと、ふわりとキーカを抱き上げる。

 左腕に座るような形になると、顔がぐっと近づく。

 はたから見れば微笑ましい父娘にも見えるが、二人の歳はそれほど離れていない。

「分かりましたか。そう、色は黒なので分かりませんが、そのリュックには大量の血が付着している。その"におい"に彼は反応したのですよ」

「でもDr。彼がただ単に血が嫌いと言う可能性は?」

「それはないかと。嫌いなだけならば、もっとすぐに気分が悪くなるはずです」

「成る程。キーカ、納得しぃましぃた。しゃぁ、早くお昼を食べにいきましょう」

「ええ」

 クェルタの靴音だけが、廊下に響いていったのだった。


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