第6話 『訪れたその瞬間(とき)』

 風が気配を絶ったのはいつだったか。

 その場にはボロボロになったティナとアレスがいた。

「はぁ……はぁ……」

 喉がからからで、水が欲しい。

 ティナは右頬を伝う血をぬぐった。

 洋服はあちこち破け、所々切り傷からの赤いしみが広がっている。

「ここまでキツイとは……予想外です」

 背中合わせの位置にいるアレスの洋服も、ボロボロになっていた。

 マントは所々焼けこげ、ティナと同様血のしみがいたるところにある。

(一つだけ、可能性があるんですが……この状況では)

 ミスカルの対処法をアレスなりに考えていたが、それを実行しようとすると、亡者達が襲ってきて実行できずにいた。

 アレスがまた魔法を唱えようとした時、足下にカイが戻ってきた。

 召喚獣である彼に外傷は見られなかったが、おそらく多少の疲れはあるはずだ。

"何か、案があるのか? 先程から、迷っているようだが"

「地水火風に属さぬ闇精……紫死槍(ししそう)! ええ、でもこの状況では。それに……」

 亡者達に消えぬ黒紫の槍を放ち、空いた隙に会話を続ける。

 無茶をさせたくない、そんなアレスの想いが伺える。

"我のことは構うな。ヌシの決めたことにしたがうまでだ"

「……すみません。ティナの炎しかミスカルに効かないと思うんです。
 そのためには、攻撃の手をやめず、ティナをあそこまで届ける必要があります。でも……」

 アレスの避けた亡者の前に、カイが飛び出た。

"水鏡の刀砕(すいきょうのとうさい)!"

 水でできたガラスの大きな欠片が、亡者に突き刺さった。

"しばしの間ならば、我が引き受けるぞ。この亡者の群れ"

「お願いできますか? それなら……ティナ!」

「何?」

 近づいてきた魔法を炎の剣でなぎ払うと、ティナはアレスの方を向いた。

「今から、翼をティナの背に創ります。それで、飛んでください。そして、ミスカルに……」

 一瞬目を瞬かせたティナだったが、すぐに理解すると、頷いた。

"ゆくぞ、アレス! 水龍の制裁! 雷雲の捕縛!"

 二人の周囲に水の柱が起こり、龍と化す。

 怒りに満ちた水龍は、亡者達に襲いかかった。

 一方で、黒雲が発生し、雷と雲が亡者を包みこみ、動きを封じる。

「空に住みし風精達よ、かの者に……風翔翼(ふうしょうよく)!」

 間をおかず、アレスが呪文を唱えた。

 現れた翠色の翼は、以前と違い少しずつ透き通っている。

 ミケルの創ったモノと違うところは、縁がキラキラと光っているところだった。

「これでいいです。ティナ、動かし方はわかりますよね?」

「うん。ありがとう」

 ティナは剣を構え直すと、大地を力強く蹴った。

(あとは、僕がどれだけ耐えられるか、ですね)

 ティナが無事、浮いたことを確認すると、アレスは亡者達の方に向き直った。







『ふ〜ん。それで、ティナがボクの所に来たわけか』

 ティナが目の前に現れても、さして驚かずミスカルは楽しそうに笑った。

 まるでこの時を待っていたというかのように。

 ティナは、相手を睨み付けた。

「そうよ」

『じゃぁ、その相手がボクじゃなくて、ミケルだったらどうする?』

「なっ?!」

 ミスカルのすぐそばに、突如ミケルが現れた。

 感情のない、にごった瞳が、その者が正気でないことを示していた。

 思わず、舌打ちがもれる。厄介な事態になりそうだ、という考えからだろうか。

 そうこうしているうちに、ミケルの手に持つ杖は、すっとティナに向けられる。

 攻撃魔法が唱えられる合図だった。

「……水龍刃」

 いくつもの水の刃が、空を駆ける。

 慣れたようにそれを軽く避けると、剣に炎を纏わせた。

 ティナには熱いという感覚は訪れない、白の中に緋色の混じる炎。

 その炎を見た瞬間、ミスカルの顔の色が微かに変わった。

『ミケルが出てきても、あまり動じないと思ったら……マスターしてたのか。真実の聖なる炎』

「そうじゃなきゃ、対抗する意味がないでしょう? ミケルは絶対に返してもらうんだから!」

 ティナは剣の切っ先をミケルに向けると、柄を握る右手に左手をそえた。

「ゴメン、ミケル。聖炎の疾風(はやて)!」

 よけることの叶わない、神速の炎。

 剣の切っ先から飛び出た白い炎は、ミケルのマントに刺さりその空中に留めた。

 驚くことも、逃げようとすることもないミケルは、そのまま広がる炎に押さえ込まれたのである。

 ミスカルは舌打ちをすると、一転して後ろに下がった。

『ボクを倒すなんて、100年早いことを教えてあげるさ! 裂傷水弦(れっしょうすいげん)!』

「それは、こっちの台詞! てぇぇぇいっ」

 何もないところに、水の弦が現れた。

 ミスカルの放った水は研ぎ澄まされた弦。その弦は触れるだけで全てを切り刻む。

 だが、ティナはそれを剣でなぎ払った。

(チャンスは一瞬。それ以外に、ミスカルに近づける時は、ない)

 ティナはミスカルに一太刀浴びせること以外はを考えていなかった。

 無理に初めから倒そうなどと考えてはいけないのだ。

 ただの一撃。だが、何より重要な一撃。

 その機会をただひたすら狙っていた。







 + + +







 ティナにとっての好機は、すぐに訪れた。

 それは、ミスカルが一瞬後ろに気を取られた時。

 アレスの放った魔法攻撃が何故か軌道をそれ、ミスカルの方に向かった時だった。

 ただの一瞬。されど一瞬。

 ティナは機会を逃さなかった。









 + + +









 白い炎が宙を駆け、ミスカルの背に振り下ろされる。

 剣は、見事ミスカルの左翼を斬りおとした。

『―――――!!』

 そして、ミスカルから声にならぬ絶叫が聞こえたのも、ほぼ同時であった。

 すぐさまティナを突き放し、ミスカルは右手で血の流れ出した左肩の後ろをおさえる。

 顔が苦しそうにゆがんでいる。

 散った翼は、斬られた時の炎によって、跡形もなく消える。

 ティナは、どうにかバランスを取り戻すと、顔を上げた。





 一方のアレスも、ミスカルの絶叫に上空を見上げた。

 それと同時に、周りにいた亡者達が、一斉に土に戻っていったのである。

 おそらくそれは、ミスカルの放った魔力が弱まったためであろう。

 そして、今まで沈黙していたミケルが苦しそうに頭を抱え込んだのだった。

(ミケルが苦しんでいる? もしかすると、正気に戻せるかも)

 だが、アレスにそんな暇はなかった。





『……くも……よくも……ボクの羽根を』

 ミスカルの背からの出血は、止まらなかった。

 体を伝い、赤い雫が地面に向かって降る。

『許さない……もう、遊びは終わりだぁぁ!』

 ミスカルが目をむいた瞬間、ティナは不可視の力に吹き飛ばされ、地面に叩きつけられた。

 先ほどまでのコントロールされた魔力とは別の、力任せに放たれた力だ。

 不覚にもその衝撃で剣を手から離してしまい、少し離れた場所に転がってしまう。

「しまった!」

 慌てて、立ち上がり剣を拾おうとするが、不可視の力は思ったよりも強く、なかなか起きあがることができなかった。

 そして。

『……天光貫刺(てんこうかんし)!』

 怒りにわれを忘れたままのミスカルから、大量の光の矢が、ティナめがけて放たれたのである。

(防御魔法じゃ間に合わない!)

 その瞬間アレスは考えるよりも早く、体が動いていた。

「……っ」

 動くことも叶わず、もうだめだとティナは目をつぶった。

 視界が閉ざされ、世界は闇に染まる。

 諦めるのはいけないと思っても、もう何も考えることができない。

 ティナの耳には矢が人の体を突き刺すような、嫌な音が響いた。









 音と同時に訪れるはずの、灼熱の痛みがなかった。

 肌を伝う生暖かい感覚もない。

 不思議に思い、ティナは瞑っていた目を少しずつ開いたのだった。

 初めに目に入ったのは、困ったような笑みを浮かべるアレスの顔。

 その口元からは一筋の赤い線が、流れていた。

「ア……レス?」

 さぁっと血の気が引いた。

 思い出すのは昨晩の言葉。




――――聖なる珠(ホルオーブ)は、その身に宿した者を生き返らすという力があるそうです。




――――ただし一度だけ。2度目は普通の人と同じく死んでしまいます。




 ティナが確かめるように左側を見ると、アレスの右手にあった聖なる珠(ホルオーブ)が、音を立てて粉々に砕け散った。




――――それと、あらゆる負荷に耐えられなくなった時、聖なる珠(ホルオーブ)は砕け、魂をつなぎ止めるすべがなくなる……と




 あの時、アレスはそう言っていた。

 自分は10年前に一度死んでいると。聖なる珠(ホルオーブ)が砕ければ、死ぬかもしれないと。

 初めは嘘だと思ったし、信じたくもなかった。

 けれども今更そんな嘘をつくとも思えなかったし、ただそうならなければいい、と思った。

 でも、現実は……一番、起きて欲しくなかったことが、起きてしまった。

 所々焼けこげた灰色のマントが、どんどん赤く染まっていく。

「すみ……せん……ティ……ナ」

 それが意味するのは、アレスがこの世に存在できなくなるということ。

 アレスの体はそのまま横に崩れ落ちる。

「ア、アッ……アレス――――――!」

 ティナの叫びが、その場に響き渡ったのだった。



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