第1話 『霧の迷子』

"お母さん! あそこの霧がかかってるとこに行きたい!"

 花の冠をかぶり、家の庭で息を上げて立っている少女は言った。

"コラッ! そんな事言うんもんじゃないよ。あそこはねぇ、誰も帰ってきたことがない場所なんだよ、シア"

 普段は怒らない母が声を荒げたため、少女は怯えていた。

"帰って……これないの?"

"ああ、そうだよ。さぁ、そんなことはいいから、みんなと遊んでおいで"

"は〜い"

 少女は元気を取り戻すと、庭の外に駆けていった。

 母親は少女が行ったのを確認すると、ポツリと言った。

"それにしてもあの場所、一年前はもっと上にあったのに…"


 * * *


 ティナとミケルが一緒に旅を始めてから二週間。

 いくつもの町、村、森を越え確実にシグス国に近づいていた。

 スシャラ国より南は、シグス国の国境までどの国にも属さない村や町となっている。

 なので、それぞれに特徴があった。今、二人は少し大きな町にいる。

 この町についてすぐ、ミケルが目を離した隙にティナは姿を消した。

「だぁぁ! またどっか行きやがったな! ったく、オレが目を離すとすぐこれだ」

 ブチブチと文句を言いながら、近くの店を覗く。

 口は悪いが、ミケルは意外に面倒見が良いのだ。三つ目の店で、やっとティナを見つけた。

「ティナ。お前、いい加減にしろよ。追いてくぞ」

「え? うわっ、待ってよ〜」

 さっさと歩き出すミケルを、ティナは少し名残惜しそうな目をすると、慌てて後を追った。

「あっそうだ。ミケル、さっき良いこと聞いたの」

 またおいていかれそうになったので、急ぎ足で歩きながら楽しそうにしている。

「ああ? 厄介事はごめんだぜ」

 ティナの聞いてくることに、良いことがあったためしがない。

 二週間しか一緒にいないとは言え、それを実証するのに十分な事柄はあった。

「むぅ……この先のね、通る所に霧が出てるんだって」

「それがどうかしたか?」

 ミケルはまた変な事を聞いてきやがったな、という顔をしながら、手に持っていた麻袋の中の氷を全て口に入れる。南に向かっているため、少しずつだが気温が上がっていた。

 ティナはそれを物欲しそうに一瞬見たのだが、それに気づいてか気づかないでか、ミケルは視線を無視していた。

「それがね、一ヶ月前までは向かいの山の中腹にあって、今は麓の村を包んでるらしいの」

 沈黙が続く。

 ……だが、ミケルは考えると、興味がわいたのか、真剣に話を聞きだした。

「で、その中に入った人の話では、その村では不思議な幻を見るとか、霧の中に青い獣が住んでるとか、外との時間の流れが違うとか……とにかく不思議なんだって!」

 ティナは真面目な顔をしている。

 あくまで噂と言ってしまえばそうだが、"青い獣"と"時間の流が違う"というコトに、少々惹かれた。

「ま、どうせ日がまだ長いし、少しぐれぇ寄り道しても良いだろ。ティナ行くぞ、その霧の謎オレ様が解いてやる!」

 ミケルは杖を持っている右手を、空に高々と上げ張り切っている。

 ティナはその返事が聞けて、うれしそうだった。


 町外れに来た頃、うっすらと霧がかかり始めた。

 どんどん歩くうちに、ミルク色の濃い霧に包まれる。

 すると、ミケルが顔をゆがませた。

「ティナ、気をつけろ。やっぱ、ただの霧じゃぁねぇぞ。魔法の気配がしやがる」

「え?! て事は、霧の中の青い獣って…」

「ああ。……多分、ここの監視役だな。誰かが召喚獣を置いてるに違いねぇ」

 パキッ と後方から木の枝を踏む音が聞こえた。二人は一瞬体を緊張させ、そちらを振り向いた。

 ミルク色の濃い霧から出てきたのは、5〜6歳の小さな女の子だった。

 二人は少女の姿を見ると、目を合わせる。

「ど〜してこんなとこに、ちっこいガキがいるんだ?」

「さぁ?」

 グイッと少女にマントを引っ張られたミケルは、バランスを崩しそうになる。

「おわっ?! 危ねぇだろっいきなり。なにしやが……」

 怒鳴ろうとしたミケルをティナは引っ張った。

「何すんだよ、ティナ!」

 勿論、怒りの矛先は少女ではなく、今度はティナの方に向いた。

 だが、驚いてるでしょ! というティナの言葉に、ミケルは押し黙った。

「あっ……あのね、おうちに……おうちに帰れないの」

 ティナとミケルとを交互に見ていた少女は、自分に何もしてこないことを理解すると、少しずつ喋りだした。

「みんなと隠れんぼしててね、霧の中に入ったらね、ここが何処かわからないの……」

 ポロポロと涙をこぼしながら、少女は訴えてくる。

「ちっ、迷子かよ、仕方ねぇな。お前、この霧の中にある村の子か?」

 少女は首を縦に盛大に振った。

 ティナは、こんなミケルを見て面倒見が良いな、と思ってしまう。

「そうか。……んじゃ、この霧に住みし水精よ我が力となり姿を現せ、召喚!」

 辺りの霧が一ヶ所に集まり、人の形を作っていく。

 数秒後、額に一本の白い角、えらの耳、綺麗な海の色の短い髪と目をもち、白い着物に青い帯の女の子が現れた。サイズは人の手に乗るくらいだった。

「水精よぉ、この子の住む村まで案内してくれねぇか?」

"本当は、あまり近づいて欲しくないのですが"

 水精は困った顔をしている。どうやら何か、わけありらしい。

「そこを何とか出来ねぇか?」

 ミケルは念を押して聞いた。

"わかりました。…ついてきて下さい"

 水精はあっさり答えると、身体を180°回転させて、霧の奥に進んでいった。

「ティナ、行くぞ」

 いつの間にか少女を背負ったミケルは、走り出した。ティナもその後に続く。

 ミルク色の濃い霧を進んでいくと、目の前が明るくなってきた。

"私が教えられるのは、ここまでですわ"
 霧が薄れだした所で、水精は止まった。

「そっか。サンキュ、水精」

"いいえ。ただ、忠告します。一刻も早くここから…"

 最後の方の言葉は、風にかき消されて聞こえなかった。


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