家に入ると、四人は一室に案内された。 お茶を入れると言い残し、萌葱色のショールをソファにかけ、パタパタと動き出したシェイナの周りを先程の蝶の一匹が飛んでいる。色は蒼だ。 邪魔をするわけでもなく、ただ傍にいるだけのようだった。 「ルナシュアねえさま……あの蝶は?」 「ああ、これ?」 ルナシュアの指した先に翠色の蝶がいた。 よく見るとその蝶には、手と足があり(人間の物に近い形)額には羽と同じ色の珠がある。 けたけたと笑う小さな声が聞こえそうだったが、しぐさはするものの音は全く聞こえない。 この世界の生き物とは少し違うのかもしれない。 「よく、わからないけど……シェイナさんの傍にいるのよね。多分、シェイナさんと命を共にするモノだと思うわ」 命を共にするモノ――そう言われてティナは首を傾げたが、アレスは黄色い鳥をふと思い出していた。 魔法の使えた小さな鳥、それと同じならばこの世界の生き物と少し違うということで納得がいく。 話を聞きながら、何気なく手を伸ばしたミケルの傍に紅と生の蝶がよってくる。 払うわけにもいかず、かといって手を引っ込めることもできず、固まってしまったミケルを、蝶達は面白そうに見ていた。 「さぁ……どうぞ」 シェイナが湯気の立つカップを持ってくると、蝶達は一斉にその傍に寄った。 やはり一番主のそばがいいらしく、生き生きとしているようにも見える。 カップを並べ、再びショールをはおうと、シェイナはティナの向かいに座った。 「シェキは、ね。多分もう自分の意識がほとんど無いの」 シェイナの話によると、シェキは昔から何かに取り付かれやすい体質らしい。 それを利用し、村の者達はウェクトの死んだ者を時折シェキに降ろしていた。 いわゆる降霊術のようなもので、ウェクト復活計画に関してのこととなると必ず行っていたらしい。 その度にシェキは体力と気力を吸われ、いつしか病弱な体質になってしまったが、そのかわりにかなりの魔力と知識を得たという。 元々のその体質に加えて、最後に降ろしたモノがあまりよくないものだったらしく、以来シェキの意識はどこか深くへ潜り込んでしまったらしい。 「じゃぁ、シェキはもう……」 その先の言葉を口にしたくは無かった。 それは、自分が現実を受け止めたということになるのだから。 まだ、微かでもある希望にかけたかった。 『デモ、残念。シェイナの願いは叶わない……この子の体って繋がりやすいからねぇ』 ケタケタと笑う子供の声が聞こえた。 シェイナとルナシュアには聞き覚えのある声音だったが、言動が大きく違う。 そして三人は、背筋を伝った嫌な汗のおかげで、ただの子供の声と思うことができなかった。 『びっくりした? ねぇ、びっくりした? ふふふ』 隣の部屋とのしきりから、ひょっこりと顔を出す者があった。 ティナによく似た、焦げ茶の髪の少女。歳は13くらいだろうか。左耳に止めた大きな赤い輪のピアスが、風系の守護を持つことを示していた。 彼女が、ティナの妹――シェキ。 しかし、今喋っているのは、明らかに他の誰かだ。 目の色が、生きている生物とはどこか違う、血の色よりも濃い、赤黒い不気味な色だった。 微笑みは無邪気そうに見えるのに、どうしてこう恐ろしいと本能が告げるのだろうか。 『むぅー? どうして反応してくれないかなぁ。ま、いいや。今回の用事は確認だけだから』 「一体、どういうこと?」 硬直からいち早く回復したのは、ルナシュアだった。 とはいえまだ体を動かそうとすると、しびれたような感覚が残る。 そこにいるのが何かを、半分予想できていたからなのかもしれない。 『んー? 知ってるんじゃないの? ルナシュアは』 「私が何をっ」 質問に質問で返され、ルナシュアは驚いた様子を見せた。 その反応が気に入らないのか、シェキの中に入っている「それ」は、むっと眉を寄せた。 『知らんぷり? どうでもいいんだけどね……さぁて』 ゆっくりと、五人を品定めするように眺めてから、それはゆっくりと動いた。 手前にいたシェイナにはみもくれず、ルナシュアとアレスの前を通り過ぎ、ミケルの前で止まる。 そして、嬉しそうに微笑んだ。 『君が、ミケルでしょ? そうだよね。ふふふ、まだ何も知らないのかな? 誰の入れ知恵かは知らないけど、そうやって育てられちゃったでしょ』 何を、と声をあげたくとも、ミケルは動けなかった。 縛り付けられるような視線が、痛い。 そして、意味の分からぬ恐怖。 「だって、それはっ!」 『ルナシュアは黙ってる。ねぇ、君は何をしているの? どうせ……』 ミケルの耳元で、「それ」は何事かを囁いた。 徐々にミケルの顔から血の気が引いていく。 満足そうに「それ」は微笑むと、ゆっくりとミケルから離れた。 『この体じゃ、これが限界。ティナは……手伝う気はなさそうだねぇ』 剣の柄に手を添えた状態で、睨みつけるティナを警戒してか、すぐさま元いた位置に戻る。 さらりと揺れた髪に手櫛を通し、満足そうに目を細めた。 『よぉーく分かったよ。お遊びはここまで、カナ。シェイナ……最後にこの子の意識は返してあげる。もう、用済みだしね。これだけ降霊でボロボロってのも珍しいけど。それじゃぁね』 言いたいだけ言うと、「それ」は消えた。 正しくは、存在していた恐怖と威圧感が全て消え去ったのだ。 だが、それと同時にシェキの体が倒れた。 「「シェキ!!」」 ティナとシェイナがシェキに慌てて近づく。 シェイナに抱えられ、上を向いたシェキがゆっくりと目を開けた。 「か……さま。ね……さま」 ようやく絞り出したような声は、今にも消えそうなくらい小さかった。 さしのべられた右手をティナはしっかり握る。 ぎゅっと握れば折れてしまいそうなくらい、細い手だった。 「あの……ね。……ね……さま」 「何? シェキ」 やっとあえたのに、やっと会話ができると思ったのに。 そういう想いを全て心の奥に押し込めて、ティナは答えた。 溢れてくる涙を、左手で拭う。 しっかりと、妹の顔を見ようという意志があったから。 「お願い……が……あるの」 それは、きっと最初で最後のお願いだと、無理に笑うシェキは分かっていた。 だからこそ、しっかりと自分の声で伝えたくて、ティナの服を握りしめる。 「……あいつを……倒して……くれる? 世界を……守って……くれる?」 今までいたあれを倒さなければ、やはり今の世界は終わりを告げる。 知っているから、ティナならばできるからという、願い。 声が、震えそうだった。 「わかっ、た。シェキのお願い、かなえるよ絶対」 「よかっ……たぁ……」 シェキは満面の笑みを浮かべると、静かに目を閉じた。 上下していた胸の動作が、ゆっくりと止まる。 ティナの握っていた右手は、力が抜け滑り落ちた。 「シェ……キ?」 分かっていたのだ、なんとなくは。 けれども信じたくはなくて、嘘だよね、と問う自分がそこにいる。 その悲しみを知っているのは、アレスだけだった。 back top next |
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