木陰にたどり着いたアレスは、寝こける相手を前に、拳をつくっていた。 「人を呼んでおきながら、自分は昼寝ですか」 風精が突然現れ、仲間が呼んでいると告げた。 昼飯の準備をしようと立ち上がったときのことである。 アレスは慌てて荷物をラグにのせ、風精の後を追ってきたのだ。 風精の慌て方もあって、何か起こったのかとも思ったのだが、杞憂だったらしい。 だが、その寝顔はあまりやすらかとは言い難かった。 "しかし……あまり心地よさげでもなさそうですな" 「ラグもそう思います? やはり、起こしてみましょうか」 ラグから荷物を下ろすと、アレスはミケルの側でかがんだ。 「ミケル、起きてください。すぐ起きないなら、はたきますよ?」 返答はなし。だが、顔色は先程より良くなってきている。 さてどうしたものか……とアレスが考え出した時、ミケルがピクリと動いた。 「あ、ミケル。起きまし」 「ぅ……っぁぁ……」 腕を掴むミケル自身の指に力がかかっている。 明らかにおかしい。まるで、何かにおびえているようだ。 アレスは顔の血の気が引く気がした。 「っミケル、起きてください! ミケル!」 アレスは慌ててミケルの両肩を揺さぶった。 早く、とにかく早くミケルを覚醒させなければならない。 そして、その理由をきちんと聞いてやる必要があると思った。 「ミケルっ!」 アレスの必死な声に、ミケルはようやく目を開けた。 勢いそのままに体を起こし、ぜいぜいと荒い息をつく。 左手で胸の前を掴み、肩は震えていた。 「……っはぁはぁっ……助かった、アレス」 「いいえ。一体、どうしたんですか?」 「それは」 「ティナには言いません。僕でよければ話してくれませんか?」 目を伏せるミケルにそう言っても、首を縦に振ろうとはしなかった。 しばしの間、両者の目線が宙を泳ぐ。 これ以上無理と判断を下すと、アレスはため息をつきミケルから離れた。 「悪い……」 「別にいいですよ、無理強いはしません。それに……」 石で簡単な釜戸を組み、魔法で出した水の入った小鍋を置く。 そして、魔法で薪に火をつけるとアレスは振り返った。 「僕もまだ、二人に話していないコトがありますから」 目を見開いたミケルだが、それ以上言及することはなかった。 「どちらにしろ、ティナにだけは口外できねぇな。今んとこ、絶対に」 「そうですね」 ティナを心配する気持ちは全く同じらしい。 ミケルとアレスの秘密――それが語られるのは、しばらく後のこととなる。 お湯が沸くと、アレスは蜂蜜を入れたコップに注ぎ、雪藍花の花びらを数枚散らした。 「はい、どうぞ。これでかなり落ち着くと思いますよ」 「お、サンキュ」 普段なら甘くて飲めないこの飲み物も、この時はミケルの心を落ち着かせるには十分だった。 それから、しばらくして。 アレスが昼食を用意し終える頃、ティナがわずかに動いた。 「ん―…ご飯のにおいぃ」 寝ぼけ眼をゴシゴシとこすり、ティナは体を起こした。 「うはおう……二人とも」 「朝じゃねぇぞ。ったく、飯となると起きるんだな、お前」 「ん゛―食べるぅ」 「ほら、ティナ。きちんと起きてから食べなきゃダメですよ」 アレスは冷水をティナの顔に吹きかけた。 かけられたティナは目をパチクリしている。どうやら一気に目が覚めたようだ。 しばらくして、アレスをにらみつける。 「冷たいよ、アレス」 「あはは。でも、目は覚めたでしょう? さ、どうぞ」 「うん。いただきま〜す」 両手を胸の前であわせてから、ティナは食べ始めた。 「なんだかんだいいながら、進んでますよね。オアシスに着くのは、冬の白月半ばくらいですね」 ティナが食べ終わる頃アレスは地図を広げた。 今までにたどった経路を、指で示す。旅も慣れてくると、地図を見てその距離だけで、おおよそどれだけかかるかを、推測できるようになっていた。 「てことは、奴の居るウェクトまでは、あと二ヶ月か?」 「大体そうです」 「あれ? ミケルどうかした?」 奴の居る…と言った時、わずかに曇ったミケルの表情が気になった。 ほんの一瞬だけで、すぐいつもの顔に戻ってしまったので、アレスは気づいていない。 「別に何ともねぇぞ?」 「そう? だといいけど」 その表情の理由をティナが知るのは、もう少し先のことである。 + + + 一月ほどが経ち、冬の明月半ばの頃である。 本来ならば一年の中で一番寒い月だが、砂漠の側ということもあり、さほど寒くはない。 そして、敵――ミスカルは三人の知らぬ間に近づいてきていた。 「よぉ〜し、あとちょっと」 ティナはわずかに微笑むと、剣を構えなおした。 この一月で、大分余裕がでてきたのである。慣れとは恐ろしい。 「ティナは元気ですね……燃岩弾(ねんがんだん)!」 年寄りくさいことをぼやきながら、アレスは燃えさかる岩を獣に次々と当てていく。 焼け石に近い其れは、獣の肌に当たると、ジュウと肉を焼くような音が聞こえた。 口では緩いことを言ってはいるものの、攻撃に手を抜くことはいっさいしていない。 「その元気、分けてほしいぜ……まったく」 結局一月の間ずっと、嫌がらせのようにあの夢は続いた。 水虎が助けてくれたため、まだあれ以上ひどくはなっていなかった。 しかし、流石のミケルもここ最近では疲れを隠しきれず、どこかつらそうな顔でいた。 「それもいいですね」 「だろ? ……と、水風裂(すいふうれつ)!」 獣の爪を避けると、杖を構え直し呪文を唱えた。 風と水の混じった刃が飛んでいく。 「これでラスト――緋焔斬(ひえんざん)!」 緋色の炎と共に、最後の一匹をティナが斬り倒した。 「ふ〜……ひとだんら……っ?!」 ティナは何かの気配に気づき、顔を上げる。 それにつられ、ミケルとアレスも顔を上げた。 視線の先――木の上には子供がいた。 僅かに見えたのは背から生える、紺色の骨組みだけの翼。 それが、ただの子供とも、この世界の生き物とも少し違うことを示していた。 耳は獣のごとく尖り、左頬には紅い菱形の紋がある。 灰色の長袖を着、その上に白い布を纏っている。袖が長すぎるのか、左手は見えない。 しかし、右手は黒い手袋をしているのがハッキリと確認できた。下は黒の半ズボンに、うす青色の靴である。 そして最大の特徴は、血を思わせる紅い瞳と、ミケルと同じ色の髪だった。 後ろ髪は長く、どこか尻尾を思わせる。 『クススッ……つくづくお疲れさまって感じだね』 ひどく楽しそうに、子供は笑う。 それは曲芸のように枝を掴むと、一回転し枝の上に座った。 空気が否応なしに張りつめる。 『睨むなよぉ、こわいなぁ』 「この気配……やっぱり」 剣を持つティナの手に力が入る。 この気配。カシレン村で感じたものと、全く同じだった。 『クスクス……そうだよ、ボクだよティナ。今日はね、名前を教えに来たんだ。今ボクの本体が動ける範囲に君達が入った、てのもあるんだけどね』 やはり、楽しげな態度は幼い子供でしかない。しかし相手は人間ではないのだ。 こちらが怯んではならないと、さらに三人の緊張が高ぶる。 アレスが真っ先に口を開いた。 「そういうことなら、早く言ったらどうです?」 『ホント短気だなぁ、これだから困るんだよね。ま、いっか。ボクはミスカル。 神話の能力を持つ者って意味さ。君達を……いや、邪魔者を消してウェクトを復活させる者だよ』 神話の能力と言うことは、神に等しき力を持つ者という意味合いを込めているのだろう。 実際、神のような行いをするのだ、これから。あながち間違っているとはいえない。 しかし、何を思ってウェクトの者達は、子供の姿にしたのだろうか? 『さてと、今日の用事はもう一つあるんだよ』 ミスカルが今までになく楽しげに微笑んだのは、その時だった。 back top next |
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