第1話 『昔話1:11年前 別れの記憶』

 カロン島から大陸に戻り、シグス国のある町に泊まった時のことである。

 次の目的地はイロリアと決まり、新たな目標にティナはワクワクしていた。

 宿で取れた部屋は二つ。一人部屋と二人部屋だった。

 いつもなら、ティナが一人部屋と決まっているが、何故か今日はミケルが一人で寝たい! と言い張ったので、ティナとアレスが同室となったのである。

「どうしたんだろ……ミケル」

「さて。機嫌が悪いか、それか……島でのことで悩んでいるか、じゃないですか?」

 人のことは心配する癖に、自分のこととなるとすぐに黙り込むのだから、とアレスは苦笑いを浮かべた。

 ウェクトの名を聞いてからというもの、どうも様子がおかしい。

 何がそんなに気になるのか……二人には分からなかった。

「まぁ……何かあれば、すぐ来るでしょう。だって隣ですよ?」

「そうだね」

 ティナはベッドの上に転がった。そのまま2・3回、回転する。

 ここ最近は野宿も少なく、ふかふかのベッドで眠れることが楽しいようである。

 ふと、思いだしたかのように、ティナはアレスに呼びかけた。

「……アレスはさ」

「はい?」

 荷物の整理を終えて、大きく伸びをしていたアレスは、ティナの転がっているベッドの端に座った。

 マントは畳まれて椅子の上。立てかけてあった杖はいつの間にか小さくなって手首のお守りについていた。

「どうして、髪をのばしてるの?」

「そうですねぇ……そういうティナは?」

 逆に聞き返され、ティナは驚いた。

 尋ねたのだから自分も答えを用意しておけば良かった、そういう顔である。

「私? ん〜……ただ、なんとなく?」

「そうですか。僕は、忘れたくないから……ですかね」

 アレスは結んでいた赤い紐を取ると、手ぐしで髪をといた。

 背の中程まで届くのだから、それなりに長い。

「忘れたくない?」

「ええ、姉様のことを」

 意外な答えに、ティナは目を瞬かせた。

 ある意味では形見……というのだろうか?

「そういえば、アレスの昔話まだ途中だったよね?」

 カロン島ではかいつまんでしか話を聞いていない。

 あの話からして、楽しいものを期待したわけではないが、中途半端なのも気になって仕方がなかった。

「そうでしたね。じゃぁ、今から話しましょうか」

「うん!」

 夕食を日の沈む前にすまし、暗くなってきた今、ティナはかなり暇を持て余していた。

 眠るのにはまだ早い。ゲームをするにしてもやることは同じなのだから、それならば話を聞く方が新鮮だった。

「まずは……姉様が唯一の家族であった理由からですね」

 そうしてアレスは、長い長い自分の過去を語り出したのだった。









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 今から11年前 蒼瑠璃1145年 朱珊瑚89年 冬の白月

 それは確か寒い日だったと思う。

 少し前からずっと会わせてもらえなくて、その日はようやくゆるされてその部屋に入った。

「とおさまっ……とおさまぁ」

 涙を浮かべながらアレスは、ベッドの元に走った。

 髪は後ろでようやく結べるほど、今と同じように左耳に火難よけのピアスをしている。

 だが、体が小さい分かなり重たそうにも見える。

「アレ……ス……ゴホッゴホッ」

 なるべくアレスにかからないよう、横を向いて咳き込んでから、父親はアレスの頭にゆっくり手を置きなでた。

 父親の病名など知らない。

 けれども、小さなアレスにはそれがとてつもなく重い病気だということは察しがついた。

「とおさまぁ」

「父様。もうこれ以上の治療薬は……」

 少女が、無念そうに薬草の入ったかごを持ったまま、扉の前でうつむいた。

 腰より長い黒髪を二つにわけ、下の方で白いリボンで結んでいる。

 守護が土系である証 暗緑色の腕輪を右手にし、左手には水晶のついた手甲、額には白いバンダナをしている。

 この二つは、治癒能力者である証だった。

 魔法使いではなく、治癒専門の能力を持った者を治癒能力者としている。

 区別されるのは、魔法とは違い精霊を使うことが無いからである。

「ゴホッ……かまわんよ、クレア。お前達だけを残すことが、一番気がかりなのだ……ゴホッゴホッ」

 再び父親はアレスのいる方と逆を向き咳き込む。

 クレアと呼ばれた少女は慌ててかごを放り出すと、そのもとに駆け寄った。

「喋ってはダメです! アレス、あなたはもう寝なさい」

「やだぁ……とおさまのそばにいる!」

 ベッドにしがみついて離れようとしないアレスに、クレアは強い口調で続ける。

「いけません! 父様に治って欲しいのなら、寝ていなさい!」

「……はぁぃ」

 いつもやさしい姉が、これほどまでに強く言うのだ。従わざるを得ない。

 渋々アレスは言葉に従うと、部屋を出ていった。

「ゴホッゴホッ……すまん、クレア」

 父親の向いていたところにあった布が、赤く染まっている。

 アレスはまだこれに気付いていないハズだ。

 側に置いてあった新しい布を、クレアは差し出した。

「当然のことをしただけです。いくら調子がいいとはいえ、体にさわりますから」

「スーアが死んだのは、アレスが三歳の時だったか。そして……」

 クレアは父親の言葉に目を見開いた。

 この人は、自分の死期を悟ってしまっている。

 震えていた唇を噛みしめて、クレアは口を開いた。

「……お医者様のお話、聞いてらしたのですか?」

「まあ……な。でなくとも、自分の体のこと……くらい分かるさ。アレスのこと……たのん……ゴホッゴホッゴホッ」

 先程よりも、随分と酷い。

 布が足りないと、クレアは新しい布を取りに部屋を出た。

 その父親の言葉が、最後の言葉となることを知らずに。





 部屋に戻ったとき、咳をしていない父の様子にクレアは青ざめた。

 慌てて持ち出した布が手から滑り落ちる。

 まさか、そんな……などと言う言葉が頭の中を通り過ぎていった。

「と、とおさまぁ――――!」

 クレアの声を聞きつけて、寝ていたアレスが部屋に入ってきた。

 寒いからか毛布をかぶり、右目をこする。

「ねえさま?」

 クレアは首を振るだけで、声を出せなかった。

 ぼろぼろと止めどなく溢れる涙を、必死に拭っている。

 外の灯りに照らされた父親の顔は青白く、まるで眠っているかのようだった。

「とお……さま?」

 もう、二度と自分に話しかけてはくれない。

 あの、暖かく大きな手が自分を撫でてくれることはない。

 どうしてだろう。すぐに、父親がこの世の者では無くなってしまったことが理解できた。





姉のように声を押し殺すことなどできなくて、広い部屋にはアレスの泣き声が響き渡った。


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