第2話 『昔話2:春 新しい生活の始まり』

 父親が亡くなり当時15歳だったクレアは、前より忙しくなった。

 親戚がいればよかったのだが、生憎と両親ともに一人っ子であったため、頼る大人が近くにはいなかった。

 二月すると喪があけ、自分も学校に行かねばならない。

 すると、アレスが一人になってしまうので、誰かに預ける必要があった。

「父様の知り合いの方で……そうだわ、頼んでみましょう」

 ギリギリまで悩んだ末での結論。

 善は急げというわけで、ペンを取ると、紙に何か書き込んだ。

「アレス!」

「なぁに〜……うはおう〜ねえさま」

 大きな枕を引きずり、目を擦りながら、アレスが台所に顔を出した。

 声からして、まだかなり眠そうである。

 ……当然だ。いつもならば、もう少し寝ているのだから。

「今日から私は学校に行かなければいけません。その間、あなたは……」

 クレアが見ると、アレスは立ちながら船をこいでいた。

 これは危ない。転んで頭を打ったりでもしたら、一大事になってしまう。

「アレス……とりあえず、着替えていらっしゃい。お話はそれからです」

「ふわ〜……い」

 枕を引きずる音が続き……それが消えたと思ったら、床に荷物の落ちたような音が聞こえた。

 朝食の準備をしていたクレアの手が止まる。

「あ、アレス! 大丈夫ですか?」

 台所から頭を出せば、階段の側で転がっているアレスが見えた。

 規則正しい寝息が続けて聞こえてきたので、ホッと胸をなで下ろす。

 しかし、それだけで済むわけもなかった。

「アーレースー」

 そのからだから枕を引きはがし、猫がするように首根っこをとらえる。

 いつもならばここまですることもないのだが、今日はそうはいかない。

「ん〜……おはよう、ねえさま」

 寝ぼけているのか、本気なのか、このころから寝起きの悪いアレスだった。

「おはようは、先程聞きました。アレス……お風呂に井戸水を張って、そこに落としますよ?」

 春の華月になったとはいえ、井戸水はまだ冷たい。

 その中へ落とす、などと考えただけでも恐ろしいのだが、クレアの目はかなり本気のようだ。

 さすがのアレスも、この一言で完全に目を覚ました。

「それはやだよぉ」

「なら、きちんと着替えていらっしゃい」

「はーい」

 アレスの現在の笑みと口調は、どうやら姉であるクレアに似たらしい。

 流石は姉弟……そっくりと言ったところか。





 + + +





 朝食が済むとクレアは先程の続きをアレスに話し始めた。

「先程言った通り、私は今日から学校に行きます。その間、あなたは父様の知り合いである方の所にいなさい」

 お姉さまが大好きなアレスは、言うこともちゃんと聞く。

 よく分からない話でも、頷けば喜んでくれるからである。

 まぁ、クレアもそのことを分かって話しているところもあるとかないとか。

「でも、だれのところ?」

「さっき、カルを飛ばしました、そろそろ帰って……」

"ピルルル"

 窓辺に黄色い鳥が一羽とまった。頭上に生えている青く長い毛は、朝日を受け光っている。

 クレアが手を伸ばすと、鳥は喜んで飛び移った。

「お帰りなさい、カル。手紙の返事は?」

"ピルッ!"

 カルと呼ばれた鳥はクレアの手の上で、身震いをした。

 足に結びつけられていた紙が、クレアの手に落ちる。

 急ぎの手紙に、急ぎの返事だけを送ってきてくれたようだった。

「ありがとう」

"ピルル"

 カルはテーブルにのっている自分の食べ物を啄み始めた。

 クレアは紙を広げ、さっと目を通すとアレスの方を向いた。

 無理かと思っていたが、引き受けてくれるそうだ。

 これで、不安が一つ無くなった。

「アレス。この町の魔法術塔は知っていますね?」

「うん」

「そこの長老様……ライゼさんが、あなたを預かって下さります」

「ちょーろーさま?」

 幼いアレスには長老の意味が分からない。

 クレアは苦笑いを漏らすと、付け加えた。

「一番偉い方のことですよ、アレス」

「ふ――ん」

 クレアが説明してくれたので、一応黙るアレスだが、おそらく意味を完全に理解してはいないだろう。

 一番だから、とにかく凄いんだ、と自分なりの解答を導き出していた。





 + + +





 クレアが片付けをしている間、アレスはカルと遊んでいた。

 カルは何かを食べたりはするが、普通の鳥ではない。

 簡単に言えばクレアの召喚獣に近いものだが、いちいち召喚する必要はない。

 カルはクレアの生まれた時、この家に現れた。

 そこから推測するに、カルはクレアと生命を共にしているのである。



 生命を人と共にしている生き物は、数少ない。そして、自分と同じ生命を持つ者を知らずに生きている者もいる。

 クレアの所へカルが現れたのは、かなり少ない可能性の奇跡だったと言えよう。

「ではカル、留守番をお願いしますね」

"ピルッ"

 カルは少しだけだが魔法も使える。

 魔法使いに尋ねてみたこともあったが、結局は分からなかった。







 + + +







 アシュレの魔法術塔につくと、アレスは目を輝かせた。

「ねえさま! おばけがでそうだよ」

 子供の思考は至って簡単にできている。

 蔓の這う、古びた暗い雰囲気の塔=お化けの出てきそうな面白いところ、という図式変換が、脳内で行われていたのだろう。

 純粋で、可愛らしいとも思うが……。

「アレス。人前で、その様なことを言ってはいけませんよ」

 お姉さまは、厳しかった。

 にこりと、顔だけの微笑みを浮かべ、クレアが注意したのである。

 彼女を知る者から見れば、絶対零度の微笑みである。

 現在アレスの必殺技の一つでもある。

 勿論、正論だ。そして、クレアに従順なアレスはこの一言で黙った。

「は―い!」

 二人が待っていると、一人の灰色の髪をした老人が現れた。

 魔法術塔の開く時間より早かったため、塔の外で待ち合わせをしていたのである。

「おはようございます、ライゼさん」

「おはよう。久しぶりですね、クレアさん」

「はい」

 クレアは一度だけ、ライゼを父に紹介してもらったことがあった。

 それ以降、あまり会うことも無かったが、一番親しいのはこの人しか思いつかなかった。

 そんなことを知らないアレスは、二人が会話するのを呆然と見ていた。

「それでは、アレスをお願いします。学校が終わりましたら、向かえに来ますので」

「わかりました。……アレス君?」

「ほえ? 何?」

 いきなり声をかけられ、アレスは戸惑う。

 人見知りはないので、平気と言えば平気だが、いきなりなんだろう? と首を傾げた。

「お姉さんが、行ってしまいますよ?」

「え? あ、ねえさま、いってらっしゃ〜い」

 クレアが歩いているのに気づくと、アレスは大きく手を振った。

 今までとは違う世界が、この先に待っていた。


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