季節は巡り、秋の初め……秋の黄月。 父親が死んで、半年である。 南に位置するシグス国は未だ暑さが抜けきっていなかった。 相変わらずアレスは、ライゼの所に毎日通い続けている。 一人で預ける事へのクレアの不安も、いつしか消えていた。 「ライゼさま〜きょうは、だれかくるのぉ?」 塔の人々がせわしなく動いているので、アレスは部屋に入るなり尋ねた。 今までに何度かこういうことはあったのだ。 けれども、今日はその時以上に騒がしい。 「おお、アレス」 いつからか、ライゼはアレスを呼び捨てにしている。 毎日会っているうちに、だんだん自分の子供か孫のように思えてきたからかもしれない。 「今日は王都から、使いが来るんじゃ」 王都――ルハはアシュレの隣にある。 とにかく、偉い人がライゼ様に用事があるんだ、とアレスは思った。 「なんのごよう?」 「わからんよ。だが、急ぎの用らしい」 「ふ〜ん」 いつも通り本棚から一冊本を選ぶと、アレス用に置いてある机の上に広げた。 アレスはライゼの部屋に置いてある本を、夏頃から少しずつ読んでいる。 ライゼは、読めているのだろうか? と思ったこともあったが、どうやらアレスは挿し絵を見て、内容を理解しているらしい。 時々、わからないと聞きに来るので、ライゼはまあ良いだろう……と考えを変えた。 本日アレスが引っぱり出したのは、古い本だった。 いつもの魔法書をとったつもりだったが、位置が変わったのか違うものだったらしい。 表紙を見ても、裏表紙を見ても何も描いておらず、アレスは首を傾げた。 「ライゼさま……これ、なんのほん?」 「んん?」 書類に目を通そうと、眼鏡をかけていたライゼの横にアレスは立った。 古ぼけた茶色の、少し厚めの本を開いて、ライゼは目を細めた。 「おお、これはな、海の向こうにあると言われておる、別大陸のお話を書いた本じゃ」 何かのお話の本というのは分かる。 けれども、別大陸、海の向こう、などと言われ、アレスはキョトンとしている。 「ホホッ……海の向こうなど、信じられんか?」 「うん」 当然の答えと言うべきである。 そもそも航行技術がそれほど進歩しているわけではない。 離れているカロン島でさえ、信じられないという者が多い世の中。 さらに海の向こうなど……一体どんな場所なのか、誰も想像などできないだろう。 「でも……あるかもしれんのじゃ。なんせ、それを書いた人物はその大陸から来たと言われておる」 「ふーん。どんなひとなの?」 「今ではあり得ぬ使い魔を、連れた者じゃ。それ以外はなにもわからん」 伝え聞いた所はそこまで。 この本は、人から貰った物で、その人は多くは語らなかった。 「……ライゼさま、このほんもらってもいい?」 わからないものに興味のないアレスは、本を欲しがった。 魔法書はいつかクレアが買ってくれると言っていた。 けれども、この話の本はどうやっても手に入らないと思ったのかもしれない。 アレスが物を欲しがることは少ないので、ライゼは少し驚いたが、それをすぐ許してくれた。 「かまわんよ」 「わ〜い」 + + + 「ねえさま〜! これ、しってる?」 家に着いたとたん、アレスは誇らしげにクレアに本を見せた。 クレアはまじまじとその本を眺めた。 中を開いてみると、初めの紙に黒い題字。そして、題字の下には島の絵があった。 題字が、今の文字と少し形が違う。上についているふりがなは、今と同じだった。 そのふりがなから、推測できる言葉を探す。 「てんしょう……天證の伝説ですか。いいえ、知りませんよ」 アレスの顔が明るくなった。 「あのね、あのね、きょう、ライゼさまにもらったの」 「よかったですね」 そう言いつつ、クレアはテキパキと夕食の用意をしだした。 アレスは、窓辺にとまっているカルにも、楽しげに本を見せていた。 だが……カルに理解ができるはずもなく、そのしっぺ返しに髪を引っ張られたりはしたのだが。 + + + アレスが寝付いた後、クレアは自分の机の前に座り、本をめくった。 「天證の伝説……遙か昔、別大陸でのお話」 今まで知っている物語は全てアレスに話したつもりだった。 アレスが言うには、その大陸では魔法使いでない人が召喚獣を操り、精霊のような種族も存在していたらしい。 物語というには、少々描写が細かい様な気がした。 実話……なのかもしれない。 本編は全て今の字で書かれてはいるが、中表紙の文字を見る限り、この大陸の人間が書いたとも思いにくい。 (明日、学校で文字を調べてみますか) クレアは一枚めくっただけで本を閉じ、自分の勉強に取りかかりだした。 + + + 秋の暮月に入った頃、一つの問題がでてしまった。 「ということなのですが。どうしましょう、ライゼさん」 「う〜む」 ライゼは考え込んでしまった。 その問題とは、クレアが学校の研修で、家に帰れない日がでてしまったことである。 「おそらくこの先は、時折……」 クレアが戸惑うのも無理もない。 今までこんな研修などなかった……というより、クレアが上のクラスに上がったため、外にでる機会が増えたのだ。 治癒能力者は、実地訓練が一番重要視される。 学校のことともあり、他の日にずらすということもできない。 「二人がよいのなら、預かるのだが?」 「そうして下さると、私は良いのですが……アレス」 お菓子を食べていたアレスは、一気に飲み込んだ。 喉に詰まらなかったのは幸いだろう。 「なあに? ねえさま」 「明日……ライゼさんの所に、お泊まりをしてくれますか?」 お泊まりの意味が分からないらしく、アレスは首を傾げている。 「一人で、一晩ライゼさんの家に行くことですよ」 一人と言われ、アレスは戸惑う。 「え、ねえさまは?」 「私は……学校の用事があるんです」 クレアは苦笑いを浮かべた。 アレスは何か言おうとしたが、すぐに口を閉じた。 姉様が一日帰ってこない……それは嫌だが、それを言って困らせたくはない。 さんざん悩んだあげく、一つの結論を出した。 「……わかった」 「本当ですか? よかった」 アレスはその後、少しの間黙っていた。 その姿に、困ったなという顔をしたのはライゼだった。 しばしの間考えたあと、アレスに耳打ちをした。 「……ホント? ライゼさま」 「ああ、少しずつな」 「やったぁ!」 アレスは喜び、はねまわる。 とたんに元気になった様子を見て、クレアは疑問を投げかけた。 「ライゼさん。一体何を?」 「なぁに、簡単じゃよ」 ふふふ、と初老の老人は微笑んだ。 「好奇心旺盛な子供の、探求心をくすぐるだけじゃ。魔法という名の勉学でな」 魔法使いの勉強を、学校に入る前からしている子供も少なくはない。 その程度の知識なら、片手間で教えられると、ライゼは笑っていた。 back top next |
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