第拾話 『保健医 翠』

 保健室に行くと、保健医 守八乃 翠(かみはのすい)はお茶をすすっていた。

 見た目は女に見える翠だが、実際は男である。

 だが、その正体に気付いている者は学園の一部だけだったりもする。(その一部に師走や初音、睦月に雪影に薫、それから保健室常連客の葉月が含まれているのは余談である)

 まぁ、声も高いしバッチリ嘘胸も作ってある上に薄化粧、気付く方が凄いというわけだ。

 ちなみに、翠曰く、バレたらバレたでいいのよ。それまでの間が楽しいじゃない? 男子生徒の落胆のしようが楽しいの、だとか。

 こちらから見て左側は黒茶、右側は薄茶の髪で、肩に掛かる後ろ髪は、今は後ろでひとくくりにしてある。横長の眼鏡(ダテ眼鏡)をかけた彼は、意外な時間の来客にまつげの長い目をしばたたかせた。

「あら、まぁ」

「翠ちゃん、こんな時間にごめんなさい」

「それは構わないけど……こっちのベッドが空いているから、寝かせてあげてちょうだい」

「ああ」

 師走は十六夜をベッドにおろすと、保健室を出ていった。

 翠は、ちょっと呼んでくる子がいるからと、一時保健室から出ていったのである。





 + + +





 さて、翠が戻ってきてから数分後、廊下をものすごい勢いで駆けてくる音が響いた。

「いーざーよーいーっ!!」

 バンッ と、勢いよく扉を開けたのは、女子制服を着た背の低い少女。つばを後ろに向けた青いキャップを被り、大きさを調整するベルトの所からは、前髪が上に跳ねている。漆黒の後ろ髪は腰に届くほどであろう。顔のあちこちに絆創膏を貼っており、制服も所々汚れている。

 閉まっていたカーテンをめくると、ホッと安堵の息を漏らした。

 横にいる大きな黒い兎のぬいぐるみを抱えた人物に気が付くと少女は声をかけた。

「あ、無月の先輩……ちーっス」

 右手をおでこの辺りまであげ、警官の敬礼のようなポーズを取る。

「あれ? 紅葉ちゃん? 知り合いさんだったのかぁ」

 少女を見てすぐに、無月は微笑んだ。

 少女の名は神無月 紅葉(かんなづきもみじ)。実は葉月の従姉妹である。

「こいつ……十六夜は同じクラスっス。ついでに、中等部の頃からの世話役も何故か任されてるっス」

「じゃぁ、いつも紅葉ちゃんが怪我していたのは、長月君を今日のみたいのから守っていたの?」

「ん〜……まぁ、そんなとこっス」

 一瞬の間が気になったが、あまり他人のことに口を出すわけにもいかず、無月は黙っていた。



「月は巡りて姿を消す……」

「長月君?」 「十六夜?」

 二人がベッドに目をやると十六夜がうっすらと目を開けていた。

「闇に潜む影は二つ……天の兎 地の兎……天にありしは白き兎……」

 その声に呼応してか、無月の腕の中にいる『うさ』が、カタカタと動き出した。

「地にありしは黒き兎……池に沈むは その主か……求むる我はここにあり!!」

「ながつき……わっ?!!」

 『うさ』は、突如巨大化を始めた。

 横にいた紅葉も目を丸くしてその場を動けずにいる。

「その行く先……」

 紡ぎだされる歌を止めなければと、無月はとっさに十六夜の口をふさいだ。

 すると、『うさ』はポンッ と言う音を立てて、元に戻ったのである。

「びっくりしたぁ」

「いや、無月の先輩。そうは見えないっスよ」

「そう? まぁ、最近身の回りでは不思議な力を見るからかなぁ。ちょっと慣れたみたい」

「ふ〜ん」

「にしても……」

 あの力は、月人のものに思えるのだがと、無月は考え出した。

 歌にあった『池に沈むはその主か 求むる我はここにあり』という言葉が引っかかった。

 力の在処……それの謎かけのような気はするのだが。

「あ、師走の先輩。ちーっス」

「おお、紅葉か。久々だな」

「師走の先輩も相変わらずで……」

 紅葉がそう言った理由は、師走の行動にあった。

 窓から部屋に入り込むと、思案中の無月の側にいっさんで行ったからである。

「そうか?」

「ええ、葉月のあにぃに話を聞いた通りっスから」

「ふ〜ん、葉月にねぇ」

 その時葉月に対して師走が何を考えていたかは神のみぞ知る。


 結局、十六夜のことは紅葉と翠に任せ、二人は帰宅したのであった。





 + + +





「しー兄」

「何だ?」

「池の主って言ったら、学園 中庭の池の主だよねぇ」

「ほへは……んぐ。それがどかしたか?」

 エビフライを飲み込むと、ひじをつきフォークをプラプラさせながら、師走が聞き返した。

「十六夜君が寝言…みたいので言っていたから、気になって」

「まぁ、学園で言ったなら十中八九そうだろ?」

「じゃぁ、次はあそこか。困るなぁ……こうなると十六夜君の可能性も高いのに、明日から明後日は新月。タイミング悪すぎだよ。睦月ちゃんに頼んでおかないと」

 ため息をついて、無月は箸を置いた。

「そっか。今月は二日にかかるのか……わかった。初音にノートを借りてさっさと帰ってくる」

「うん」


 夜、手紙を書く無月の姿があった。

 その手紙は翌朝、できあがった師走の朝食の横に置いてあったのである。

「睦月宛と……翠?」

 睦月宛は覚悟していたが、保健医 翠宛はあまり――いや、全然無月の意図が読めなかった。

 なにより、あの保健医はあまり好かない。

「ま、しかたねぇよな。んじゃ、行ってくるぜ」

 師走はいつもよりかなり早く、家を出たのである。





 白城家の家訓にはいくつか他の家では考えられない物があった。

 その一つに、無月の名を付けた子は、新月の日……外に出してはいけないということ。

 特に、学校などはもってのほかであった。


 そう、刻ノ宮学園は特に……


 幼き頃の習慣で、二人は疑問を抱いたことはなかった。


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(2004/03/29訂正)

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