第拾漆話 『水と大地』

 文月の横で回っていた小さな光玉は、不意に動きを止めた。丁度紅葉が光に飛び込んだのと同時くらいである。その変化に気付いたのは振り向いた雪影だけだった。

 しかし雪影も一瞬の変化だけだったため、見間違いかと疑った。

「そんなことよりも……あっちか」

 少しは文月の心配をすべきと思われるが…彼にとってはそんなことどうでも良いのだろう。

 今の問題は紅葉が無事に力を取り戻すことができるかどうか。そこなのだから。

 四人がじっと見つめる中、光は波打っていた。





 + + +





 光の中にはいるとそこには小さな箱庭があった。砂色の地面に流れる小川。水は澄みきっていて底の小石が光っていた。

「光の中……っスよね?」

 光の中と言うよりも、異空間というべき場所だ。

 自分がここに来て何をすればいいのか? 未だに紅葉は理解できていなかった。

 水に手をつけてみると、指に少しまとわりつくように動いた。

「生きてる……わけないっスよね。というか、無月の先輩はあたしに何をして欲しかったんスかね?」

 見上げた上は先が見えないくらい遠い。

 自分が立っている場所は足場がない。透明な床があるような感じだ。空間が狭いのか、声が反響して何重にも聞こえる。

 その中に、紅葉の声と違うモノが混じっていた。


【剣と弓、鈴に符、風、念動力に大地、盾、月卯、水と言霊、そして……神乃の力か】



「何?」


【この戦い、負ける気でいるのか? 与えられた力を持てあますだけではないだろう?】


【何も考えずに、先に進めるっていいね。さぁ、行こうか。準備はできた】


【もういいよ。もう、苦しむのは嫌だよ。……さようなら、みんな。ゴメンね】


【彼を……彼が、行ってしまう! 愛さえ、縛られなければならないんですの?】



「ちょっ……一体何なんスか?」

 だんだんその声はハッキリとしてくる。


【私は忍びです。だから、表にでなくてもいいんです。影から支えますよ】


【大丈夫ですよ! あなたにはあなたの力がある】


【なんでもかんでも、兄さん、兄さん。だからっ……だから、お前が大嫌いなんだ!】


【あの子の言ったことは気にしないでくれ。ボクにない全てを持っているから……】


【始まりも、終わりも、全ては刻の中に。おそらくこの先は……思った通りになってしまう】


【負けられない。この体が壊れようとも。命の火が消えようとも。兄さんの心がそう願うから】


【免れる術はなしとしれ。目が見えずともそれくらい分かるさ。来てしまったのだな……】


【どうしてあの人が……こんなこと聞いていない。まさか、利用された……のか?】



 声の合間に聞こえるのは近づいてくる水音だけ。


【君達に勝ち目はない。完全でない彼女の力など、恐るに足らず。駒は駒らしく、散ればいい】



 聞いてはいけない、この先は……これより深くはまだ思い出してはいけない気がする。

 誰の記憶かは分からない。だけど……

 自然と紅葉は自分の両手で耳を防ごうとしていた。


【壊さないでくれ、全て――――】



 悲痛な叫びにも聞こえた最後の言葉。

 それ以降何も音はしなくなっていた。しかし、突如訪れた静寂ほど不気味な物はなかった。

 ふと、頬を涙が伝っていることに紅葉は気がついた。

「え……何で?」

 袖で目の周りをこすっても、次から次と止めどなく涙は溢れてくる。

 悲しいわけでも無いはずなのに。そうなるとこの涙の意味は?

 紅葉の涙が下を流れている小川の中に数滴落ちた。

 すると小川が突如変化を起こす。

 全てが一カ所に纏まっていき、小さな水球となった。

"過去を知るにはまだ早い……だが、少なくとも忘れる必要はないであろう"

 そう言葉を残すと、水球は光玉へ転じた。

「は、はい?」

 訳が分からないという表情の紅葉をからかうように、宙で光玉は一周すると紅葉の中へ消えていった。

――――思うまま流れるまま それがそなたの力 その御名 拾ノ月 神無月

 紅葉の右頬に、赤ん坊の手のような紅く染まった紅葉型の痣が浮かび上がったのだった。

 見上げた上がすぐそこまで近づいていた。

「ここにもう用は無いって事っスかね?」

 首を傾げた紅葉の周りをシャボン玉のような光玉が通り過ぎた。

 そうすると見えたのは、変わった空間ではなく、外――無月、睦月、雪影、十六夜そして倒れている文月のいる場所だった。





 + + +





「おかえり、紅葉ちゃん」

「ただいまっス。無月の先輩」

 ホンの数分しか経っていないはずだが、言われたら反射的に答えてしまった。

「どうにか、なったでしょ?」

「はいっス。で、残りのこれ……どうするんスか?」

 もはや球にもならず、残滓だけとなった光玉を紅葉は指した。

「どうしようか」

 無月もそこまでは考えていなかったらしく、苦笑いを浮かべる。

 周囲の人間に同様の視線を送ると、皆苦笑いを浮かべた。

「紅葉ちゃん、文月のにーちゃん、起こしてみれば?」

「嫌だ。それだけは、絶対に」

「でも、そうしないとまた力が逃げちゃうよ?」

 にこっと微笑みかけた十六夜の後ろから、微かに脅しがかった気配を紅葉は感じた。先程の雪影ほど影響力はないが、どうやら逆らうと変な目に遭いそうだ。

「仕方ない……おい、馬鹿文月! 朝っスよ、起きろ〜っ!」

 先輩を、先輩と思っていないところが文月に対しての紅葉らしいと言えばそうだった。

 頭を足蹴にする姿など、めったに見ることはないだろう。

「ば・か・ふ・づ・き〜! いい加減、起きろっス!!」

 三度目の正直とはよく言ったもので、細かな蹴りの合間に打ち出された、クリーンヒットするであろう蹴りの三発目が入った時、文月の眉が動いた。すると、紅葉は妙な疑いを掛けられぬように、その側から瞬時に離れる。

 ある意味確信犯である。

「ぅ〜……っは?!」

 目を開けたとたん上体を起こした文月は、一瞬めまいに襲われた。

 今まで寝ていたのだから、当然と言えば当然。

 肩附近にいた光玉が、再び活動を始めたのも丁度その時。

「ここは……てか、オレは何を?」

 ……一時的記憶喪失に陥っている様子ではあるが。

「あ、起きたね。大丈夫? 文月君」

 にこりと無月に微笑みかけられれば、赤面して文月は後ずさりした。

 その先にあったのは、先程紅葉がでてきた光の集合体。光の残滓に文月の体が触れると、肩の側にいた小さな光玉がその全てを吸収した。言うまでもなく、力を吸収した光玉は巨大化したのである。

「……な、何なンスか?!」

 巨大化して、ようやく文月の目には光玉の存在が見えたようだった。

 恐怖よりも興味本位の方が勝ったようで、文月はおっかなびっくりその光玉にふれたのだった。

――――天をも満たすその心 偽りは無きと知れ その御名 漆ノ月 文月

 光は八方に散り、文月の体の中へ収まっていった。

 その様子に驚き固まる文月の額に、黄色い小さなダイヤ型が四つ雪の結晶のような形に現れた。

『あと、三人か』

 その時、無月の頭にいつもの『彼女』とは違う何かの声が響いたのだった。

(この、声は……)

 全身を冷たい何かが走り、鳥肌が立つのがはっきりと分かった。今このままこの場にいれば、その何かに囚われてしまいそうで、無月は絶えきれずに走り出した。

 後ろで睦月が声をかけた気もしたのだが、今はそれどころではなかった。


過去を知るのは 月卯と水

されど真実を知る者はまだいない

確実に何かが 何かが狂いだしていた



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(2004/03/29訂正)

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