第拾八話 『残ったのは、疑問という名の無』

「む、無月っ?!」

 声をかけた睦月の手は、むなしく宙を空振りしたのだった。

 その声でほかの全員も無月に何かあったことに気がついたのである。

「睦月。今一体姫に何が……」

「分からぬ。我が気づいたときは、走り出していた」

 正元鬼を握りしめ、どうすればいい? と言う目線を雪影に投げかける。

「……まさか!」

 間に割って入ったのは十六夜。その顔は真剣そのものである。

「何か、思い当たる節でもあるのか?」

 睦月の問いに、十六夜は返答しかねていた。

 言っていいのか……何より確信がない。

「昔の記憶が頼り……でも、ぼくには途中までしかないから」

「途中?」

「そういえば……」

 沈む十六夜の肩に手を乗せて、紅葉も会話に加わった。

「さっき、光玉が戻った時、声がしたっス。過去を知るのはまだ早い……って」

 過去を知るのはまだ早いと言うことは、まだ関わるなということなのだろうか?

 記憶の戻り方は人それぞれ。最低限で分かるのは自分が月人であることと、力の使い方。

 過去の――昔の月人であった頃の記憶に関しては殆どの者が持っていない。

 今のところ、かろうじて十六夜が僅かに知っているくらいなのだ。

 生き残りし睦月と卯月の血を引く二人も、過去に何があったかまでは知らないのだった。

「一つ言えるのは、ぼく達の……敵と呼べる者までもが復活しかけているってことです。多分」

 十六夜の声は微かに震えていた。手にはいつの間にか出したミニうさが握られている。

 慰めようと思ってか、紅葉はその頭を乱暴にかき混ぜた。

「無月の先輩は大丈夫っスよ。きっと……いや、絶対に。明日には元気になってくるっスよ」

 ねっ と、笑いかけた紅葉の表情は、どこか無理がかかっているようにも見えた。

「本当に、そうであればよいのだが」

 茜色に染まる空を見上げ、睦月はつぶやいたのだった。





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 校庭を抜けると見えてくるのは部活棟に続く茂み。

 普段は無理せず舗装された道の方を走るのだが、無月は道無きそこを一気に駆け抜けていた。 葉が顔に当たることも、草で足が切れることも気にせずだ。

 ……いや、気にするどころではなかった。

(まだ……まだ囚われるわけにはっ)

 無我夢中でかける無月は、時計塔の横を過ぎようとしたあたりで人にぶつかったのだった。

「ご、ごめんなさ……」

「む〜?」

 顔も見ずに謝った無月に聞こえた声は、よく知った――兄 師走のものだった。

「し、しー兄〜っ」

「む〜? 一体何があって……って、おわっ」

 知った顔をみつけ、無月の全身から力が抜けたのだろう。

 抱きついてきた無月を支えきれず、師走はそのまま後ろへ倒れ込んだのである。運良く後ろに木はなかったため、師走は頭をぶつけずにすんだのだったが、それなりのダメージはあったようだ。

「ってて……む〜? ……おい、無月。何があった!」

 いつもとはどこか違う様子に気づいてか、師走の口調が厳しい物になった。

 しかし、無月はうつむいたままで、何も答えようとはしない。

「……」

 口を開いた師走だったが、そのまま押し黙った。

 そのまま無月の体を抱きしめると、しばらくの間そうしていた。

「無月……帰ろう。荷物は明日持って帰るから、今は……帰ろう?」

 いつになく優しい口調で…それこそ腫れ物にさわるような感じで師走は呟いたのである。

 微かに頷いた無月をそのまま抱え上げると、師走はゆっくりと帰路についたのであった。





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 その夜……生き物たちが寝静まった頃に、また『彼女』は起きていた。ベッドから起きあがろうと試みてみたが、何かが邪魔して起きあがることができない。何だろうと顔を横に向けてみると、腕が見えた。

 その腕を伝って主を捜せば、ちょうど無月にかけた布団の上に被さるように師走が眠っていた。別段重くもないため、『彼女』はそれを黙殺した。

 そして、どうにか上体だけを起こすと、師走の頭に右手を置いた。

『互いを思うまではよい。が、無月の力が漏れだす可能性があるぞ、師走。果たしてお前にそれを受け止めることが……』

「……うるせぇよ。む〜を守るのは俺なんだ」

 寝言にしては随分はっきりしてものだったため、『彼女』はしばしの間、目を瞬かせた。しかし、それ以上の言葉は紡がれなかったため、ホッと胸をなで下ろす。

 昔の彼も、強情だった。何度同じ言霊を重ねようが、守れないと忠告しようが。

【俺がどうなろうと構わない。でも、巫女には……無月には笑っていてほしい】

 どうしてこうも、互いを想えるのだろうと、彼女には不思議なことだった。

 人並みの心など昔捨ててしまった。

 刻ノ宮にいる記憶は何故だろう、途中からしかない。

 それより昔のことを思いだそうとした時期もあったが、それも無駄だと分かる頃に全て投げ捨ててしまった。

 それだからかもしれない。正しい心をもった彼女に――無月に幸せになって欲しいと願うのは。

 幸せになって欲しいのも事実、だが、自分以外の者とふれあって欲しくないのも事実。

 それ故に、起きてしまう心の矛盾。発言の矛盾。

 だが今は――今世は過去とは違う。

 もう、師走ともいがみ合う必要はないはずだ。

 そして、それよりも重要なのは……

『今度はもう、ワタシでは守りきれないかもしれない。それでも、守れるか……?』

 答えのない問いかけは、闇夜の中にとけ込んだ。

 一枚布団を師走にかけると、『彼女』は再び横になったのである。





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 翌日……師走は朝早くに学園に来ていた。

 彼が早くに来ることは奇跡に等しいのだが、その顔は前とは違い、穏やかではなかった。

 流石の葉月でも、初めは声をかけられないくらいだったのだ。

「師走君?」

「……あぁ?」

 振り返った師走の形相におびえながらも、長年のつきあいからどうにか次の言葉をつなげた。

 昨日、何かあったんだろうか? と思ながら。

「昨日……無月ちゃんにちゃんと会えた? 放課後に居場所聞かれて、時計塔の方って言ったんだけど」

「お前、それ何時頃だ?」

「えっと、確か授業が終わってからちょっと経ったくらいだから、三時半、四時前頃かな。でも、それが一体どうし……」

 答えを最後まで聞かずに、舌打ちをすると師走はどんどん廊下の奥へ進んでいった。

 向かう方向は教室ではない。中庭を越えた、部活棟だ。

「ちょ、ちょっ……師走君?!」

 今の師走には、朝練の生徒達の声も、まして葉月の声さえも聞こえていないようだった。何が起きるか予測もつかない故、葉月は心配しながら後をついていったのである。



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 たどり着いたのは部活棟 2階西側に位置する生徒会室。

 勿論、先日のようにノックをするわけでなく、扉を蹴って師走は進入したのである。

「おい、お前ら一体何をやった!」

 部屋には睦月と雪影が驚いた表情でそこにいた。雫は……まだ登校していないようである。

「し、師走? 何をいっ……」

 近づこうとした睦月を、雪影が止めた。今、師走に近づきすぎれば何をされるか分からないと思ったのだろうか。

 一瞬雪影は壊れた扉に目を向け、再び師走を睨んだ。目線的に言えば雪影が見下ろしている形である。

 それが師走のかんに障ったのか、突然胸ぐらをつかんだ。そしてそのまま壁に雪影を押しやる。

 少々眉をひそめはしたものの、雪影はそのまま口を開いた。

「何をやった? それはこっちが聞きたいね。君は何でそんなに苛立っているのさ。いきなり乗り込んできて、殴りかかって……朝だから寝ぼけているで済まないことだよ? これは……」

「お前……っつ!!」

 突然胸あたりを押さえ、師走はその場にへたり込んだ。

「「「師走(君)?!!」」」

「来るなっ!!」

 近寄ろうとした睦月と葉月、それにしゃがんで様子を見ようとした雪影に師走の厳しい声がかかった。

「し、しかしだな、師走」

「近づかないでくれ……声が」

 のばしてきた睦月の手を振り払うとゆっくりと起きあがった。

 珍しく顔が蒼白である。

「くっそぉ……よりによって、何でこんな影響が」

 頭に片手を乗せたまま、ふらりふらりと生徒会室からでていったのだ。

 姿に圧倒され、立ちつくしていた三人は、追うことも声をかけることもできなかったのである。


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(2004/03/29訂正)

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