第拾玖話 『言葉の重さ』

 屋上にたどり着いた師走は、人目に付かぬよう給水塔の近くまで上った。

 そして、倒れるように座り込むと、空を見上げたのである。

「ここなら、もう何も聞こえない……か。くっそ。何で急に」

 あの瞬間聞こえたのは、憎悪と言うべき感情の一部。雪影の本心にあった僅かな苛立ちが、増幅されて頭に響いた。まっすぐに言葉でぶつけられるよりも、精神的苦痛が大きい。

 元々師走にある物ではなく、無月の持つ力が、双子だからか時折影響するのだ。特に、無月が体調不良などで防ぎ込んでしまった場合にそれが多い。

 今の状態ではおそらく苛立ちや憎悪などの負の感情でなくともすべて悪く聞こえるはずだ。簡単に言えば精神感応の力。しかし、ただの精神感応の力よりも達は悪い。

 無月自身この力が自分にあることはおそらく知らない。普段はそういった力の鱗片など微塵にも感じられないのだ。

 いや、知っているのかもしれないが、一度もそういった姿を師走は見たことがなかった。

「同じはずなのに……なんで無月だけにっ」

 昔からそうだった。

 いくら守ろうが、助けようと思おうが、その苦しみを完全にとることは出来ない。

 自分には何も出来ない……

 その痛みが、長きにわたり師走の中で渦巻いていた。

 彼があれほどまでに無月を大事にする理由はここにあった。


【無月を守ることが出来るのはお前だ……しかし、絶対に守ることは出来ない。守りきれない。】


 昔、いつだったかは忘れたくらい前に誰かが言った言葉だ。

 重く重く師走の中で生き続ける言葉。

 『誰か』は今会えぬ人。

 大人でもなく、ましてや両親でもなく……しかし今まで会った中で一番存在感のあった女性。

 両親が死んだあの日……誰もいなくなった広い庭で。

 紅い目をした、無月によく似た、あの人は……

 あの人は、一体誰だったのか?

 無力感と再び脱力感に襲われて、師走はそのまま目を閉じたのだった。





 + + +





 遠くで微かに授業開始の鐘が鳴っていた。

 誰かに見られているような気がして、師走は意識を上昇させたのだった。

「……」

 目線の先にいるのは初音だった。給水塔の端に腰掛け足をぶらぶらさせている。

 確か、授業はもう始まっているはずだ。それなのに何故?

 こちらの目線に気づいてか、初音は何かを取り出し、こちらを向いた。

「なんでここに……って、何だ?」

 少し大きめのスケッチブックにさらさらと何かを書き込むと、初音はそれを師走に向ける。

「何々? 授業だったら具合が悪いと言って抜けてきた。守八乃(かみはの)先生と口裏合わせはすんでいる。貴様に聞きたいことがある……何だよ」

 文字で埋まったページをめくり、また白紙の部分にきれいな文字を書いていく。

 大きすぎず小さすぎず、整った横書きが師走の前に示された。

「今朝からどうにもおかしい。普段ならばスケッチブックなど持ち歩かずに話せるのだが、無月に何か起こらなかったか? ……ああ、無月なら家にいる。調子が悪くて寝ているさ」

「調子が悪い? それだけでは無かろう」

 思わず口を開いてしまった初音は、言ってからあわてて口を手で押さえた。言われた師走の方も言葉の強さにビクリと肩を震わせた。

「何があったかまでは俺は知らない。ただ、昨日放課後に会った時はすでにああだったんだ。何か……」

 初音は何故かあわてて師走の口に手を持っていった。どうやら、それ以上言うなということらしい。そして、再びさらさらとスケッチブックに何か書き込んだ。

「思わず言葉を言ったのは不本意だ、すまない。
 今日はただ喋るだけでも力が発生してしまう……だから、無月に何かあったかが知りたかったが、その様子では知らないようだな。
 ともかくこの状態では私の場合周囲への影響力が大きすぎる。だから、それも兼ねてここにいるんだ。
 ……よくわからねぇけど、とりあえずいつもと違うってことだろ?」

 相づちを打つと、さらに初音は書き続けた。

「……言霊は言葉に感情がこもればこもるほど力が強い。いつもならだが。今日は感情が入らずとも自然と強くなっている。人を傷つけたくはないしな」

 苦笑を浮かべた初音の眼は、何処か悲しげだった。

 師走はその理由を少なからず知っていた。正確に言えば、その理由を知っているのは師走と無月、そして葉月くらいだろうか。



 初音が寡黙なのは元からではない。昔は確かに普通の少女だったのだ。

 しかし、ある日を境に全く喋らなくなってしまった。

 心にもないことを怒った弾みに言ってしまい、それがもとで母親と弟がいなくなってしまったことが原因。

 いなくなって初めて自分の言った言葉の重さに初音は気づいた。

 それからだ……初音が簡単に言葉を発しなくなったのは。いや、簡単に喋らなくなってしまったのは。

 おそらく無月が初音の言うことがわかるのは、無意識のうちに力を使っているのだろう。



「それで……人のいる場所にはいたくないから、ここに来たってか?」

 こくりと初音が頷いた時、再び痛みが師走を襲った。右手で胸のあたりを押さえ、苦しそうに顔をゆがめる。

「……?!」

 驚いた初音が近寄ろうとしたが、師走は差し出された手を左手で振り払った。

「近づ……くっ……ぁ」

 初音は渋々手を引っ込めた。明らかに苦しんでいる師走だが、触れることを拒んでいる。

 大きく息を吸い込むと、一気に言葉をはき出した。

「この一帯で師走に介入せし者の気を遮断せよ。他の進入を我は拒むっ!!」

 言霊が一帯に影響を与えようとした感覚はあった。

 しかし、それ以上の効果は感じられない。それどころか同じ力に受け流されたような感じだった。

 何故? と、思ってもどうしようもない。再び初音は言霊を放った。勿論、先ほどよりも力を込めてだ。しかし結果は同じだった。

『何をしているかと思えば……無駄だ。それがワタシの与えた力である限りな』

 声が聞こえた。あり得ない上空から。

 首を巡らすと、一羽の烏が飛んでいた。

「誰……だ?」

『誰とは心外だな。お前くらいならば覚えているかと思ったが……世界が見えるようになっては、もう真実は見えぬか? 初神(しょしん)の者よ』

 その口調は確かに聞き覚えがあった。雰囲気も喋り方も。

 不思議と烏が喋っていることに違和感を感じなかった。

 そして、次の瞬間全ての記憶が戻る手応えがあった。今まで無かった物が頭の中で全て再生されるような感じだ。

 過去の、刻ノ宮で何が起こったのかということから些細なことまで全て。

 目の前に何がいるのか、それが何であるかもすぐに分かった。

 ゆっくりと、そこにいる『彼女』を睨みつける。

「貴様にお前呼ばわりされる筋合いはない。何故姿を現さない……それと、師走を何故苦しめる」

『姿は現したくとも現せない。刻が来れば分かるさ……師走の方はそうだな、一番魂も心も近い故の結果だ』

 初音は僅かながら眉をひそめた。

「それは分かるが、何故こんなにも苦しむ。昔は、いや今まではこんなことは……」

『それは……っと、お喋りが過ぎるな。明日にでもなれば全ては元にもどる。では霜月の言霊使い(スペルマスター)、また……な』

 含み笑いのようなものを浮かべ、烏は飛び去っていった。

 ぐっと初音は唇をかみしめる。

 皆、勘違いをしている。長は無月ではない。無月は……巫女だ。

 全ての勘違いは、初めに開かずの間をあけたことにある。

 かつての霜月は、視力を失っていたがために『彼女』の姿を知らない。

 だが、あの声は、先程の声は、確かに巫女のそばにいた、『彼女』の声。

 その真実を、自分はまだ、他の者に伝えることはできない。

(まだ、彼女の心は変わらぬまま、か)

 仲のよき恋人は生まれ変わると双子になるという。それがまさに今の無月と師走。

 巫女と仲のよかった師走を、彼女が毛嫌いするのは当然なのかもしれない。

 だから……それこそ前世から今、この先まで師走を苦しめるつもりでいるのだ。

 【守るのはお前、だけど守れない、どんなことがあっても】と言い続ける。

 絶対の言葉。

 それは、何人たりとも逆らうことは出来ない。

「……貴様は変わらないな。そしておそらく私も……」

 彼女は知らない。初音の、いや霜月の知る本当のことを。

 刻ノ宮の全て知っていると思いこんでいるだろうが、実際は違う。

 記憶がない理由も、巫女の本当の意味も、全て話されていたのは霜月なのだから。

 ふと、初音は今更ながらあることに気づいた。

 いや記憶が戻ったからこそ気づいたと言うべきだろう。

(まさか……いや、しかしそうなると)

 その考えはおそらく当たっている。

 そうでなければ、全ては始まらないハズだったのだ。

 初音は、両手を握りしめた。

「どうして、お前は――」

 苦しんでいた師走の声が聞こえなくなっていたため、初音は思考を停止し、心配そうにのぞき込んだ。

 微かな寝息が聞こえたことから、おそらく自己防衛のため睡眠に落ちたのだろう。

 時計を見ると、もうすぐ授業が終わる頃だ。

 一度荷物を取りに行こうと、初音は給水塔の上から去ったのだった。



明日には元に戻るだろう 何もかもが元通りに

一時の迷い 僅かながらの真実

そしてまた一つ 刻へと近づいていく

破滅への道か 未来への道か 知るものは誰一人としていない



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(2004/03/29訂正)

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