第弐拾弐話 『幽霊と彼女の関係』

 扉の中に一歩踏み入れると、そこは別空間のような物だった。

 確かにここは図書館の一角のハズなのに、違和感がある。

 本棚は確かにあるが、そこに本は一冊もない。

 水に覆われたこの空間が何を意味するのか、それを知る者はまだ少しだけ……

 何を思ったか、卯月は踏み込んだとたん顔色を変え、手に持ったままだった黒い箱から数枚の符を取り出した。

 一体何を? と、初音が声をかける暇もなく、卯月は走っていってしまった。

 すぐにでも後を追おうとしたのだが、それ以上に気がかりなことがあった。

 先程からどうも、無月の様子がおかしい。

 無月の持つ雰囲気と、違う物を感じたのだ。

 それを確認すべく、振り返った初音の目に飛び込んだ光景は、信じがたい物だった。

 おそらく油断はしていたのだろう。睦月の一瞬の隙をついて、後ろを取ると、無月の手が睦月の後頭部に振り下ろされたのだった。

「?!」

 あの動きでは、流石の睦月も誰にやられたかは分からないだろう。

 一瞬で目の前は暗転し、そのまま体は崩れ落ちたのだった。

「むつ……き?」

 顔を見やれば、覗く双眸は黒茶の混じる黒ではなく血のような紅。

『すまぬな、睦月の剣技使い(ソーディアン)。まだ知る者は少ない方がいい』

 声は無月の物であっても、口調で誰かなどすぐ分かる。

(ああ、そうか……)

 何故彼女がでてきたのか、その理由はすぐに察しが付いた。

 おそらく気づいたのだろう。この空間に、若干潜む敵の気配に。

 だが、どうして普段でてくることのできない彼女が、表にでてこられたのだろうか?

『ここは、どちらかというとワタシの世界に近い。それ故だ。急ぐぞ。確かめたいことがある』

「……卯月か?」

 彼女は驚きもせず、淡々と言葉をつづる。

『やはり、気づいていたか。どうもおかしいのだよ……生き残っているはずの卯月の除霊師(ゴーストバスター)の家系は神木(しんぎ)のハズ。だが……』

「神木ではない、今は桜木だ」

『ああ。説明の時間が惜しい。行くぞ、流雨の元へ』

 この前と少し違う様子に戸惑いつつも、初音は急いで、駆けだした彼女の後を追った。





 + + +





「卯月ちゃん? 大丈夫だよ、るーちゃんは別に悪い……」

「お黙りなさい、雫」

 雫の言葉を聞こうともせず、何を考えているのか卯月は声を張り上げる。

 何をおそれているのか、符を持つ右手の指が微かに震えていた。

「貴女、誰? 同じなのに、何か違う。でも、これで分かった。しずちゃん、ゴメンね。やっぱり今は渡せない」

 雫の前にいた流雨は光を放って消え、雫の後ろに現れる。

 そして、抱きすくめると、卯月を睨みつけた。

「ここは、重ちゃんが作ってくれた、私の世界。いくら貴女が足掻こうが、ここの主は私」

「そんなこと……やってみなくては、分からないですわ! 現世(うつしよ)に 浮つ世(うきつよ)に 我の帳(とばり)に……」

 四枚の符を、上下左右に一枚ずつおき、指を数回組んで印を作る。

 その言葉に流雨は少々眉にしわを寄せる。

「はぐれ者と 聞き込みて……」

『そこまでだ、卯月の除霊師(ゴーストバスター)!』

 呪文の途中で、その集中を途切らせたのは、他でもない彼女だった。

 符が力をなくし、はらはらと床に落ちていく。その様子に、こっそりと流雨は安堵の息を漏らした。

 今にも飛びかかりそうな勢いで、卯月は符を彼女の方に向けた。

「お姉さま! なんで、邪魔なさるんですのっ!」

『ワタシが無月に見えるのならば……霜月の言霊使い(スペルマスター)』

「分かっているとも。汝に見えぬ透の鎖 絡みつけ 縛り上げろ その力封印せよ!」

 初音の言葉により、卯月以外の人間には、銀の鎖が宙をうねる様子が見えた。

 何もないと踏んだ卯月が、腕を上げようとすれば、動くことはできない。

 口も動くには動くが、そこから音が発せられることはなかった。

 雫は唖然とし、この状況を理解しようとしていたが、流雨は違った。

「重……ちゃん?」

『ああ、久しいな。流雨』

「や、やっぱり、重ちゃんだっ! 重ちゃ〜ん!」

 やんわりと微笑んだ彼女が、自分の求めていたその人であることを理解すると、流雨は雫の後ろから離れた。

 そして、ゆっくりと近づくと、彼女に抱きついた。

「水無月、なんともないか?」

 感動の再開をはたす二人をおいて、状況把握に苦労する雫に初音は近寄った。

「何ともないです。あ、でも」

 眼鏡が……と言いかけると、無月の拾った物を、初音がすっと差し出した。

 礼を言ってそれをかけると、ようやくこの現状をハッキリと、視覚で捕らえることができるようになった。

「初音さん。無月さんは、どうしたんですか?」

「あれは、無月であり別人だ」

「……はぁ」

 これ以上説明しようにも、しようがない。

 そろそろ感動に浸る二人をこちらに引き戻さなくてはならない。

 それに、一つ気がかりなことがあった。

 今は押さえ込んである卯月の力が大人しすぎる。

 無駄かもしれないが、敵に悟られてしまうのは困るため、名前を呼ぶわけにもいかず、肩を叩いて彼女の意識をこちらに向けさせた。

「で、どうするんだ?」

『除霊師(ゴーストバスター)に憑いたものを払う羽目になるとはな。ひとまずは……流雨、記憶と力をどうしたい?』

 含み笑いのようなものを浮かべた彼女に揺さぶられても、決意は変わらない。

 にこりと笑って流雨はこう答えた。

「しずちゃんに受け渡す。でも、私の中にも残して欲しい……記憶だけは」

『……流雨がそれを望むならかなえることは可能だ。しかし』

「何度も言わせないで、重ちゃん。それでいいの」

 彼女はこの50年ほどの間に、少女を変える何かがあったことを感じていた。

 あの時、意地でも止めるべきだったのかもしれない、こうなることを予測していたのだから。

 だが、もうこうなってしまっては後には戻れない。





 + + +





 セピア色に染まりかけている過去の映像。

 差し出した選択肢は二つ。

 記憶を返し全てを忘れるか、いつか現れるかもしれない月人のために、人であることをやめここにとどまるか。

 迷うことなく、ためらうことなく流雨は後者をとった。

 心配する重と呼ばれた彼女に、にっこりと微笑みかける。

【大丈夫だよ、絶対に後悔しない】

 そう言って、少女は人である運命を静かなる闇へ葬った。





 + + +





 ひんやりとした手のひらが、雫の頬をさわった。先程触れた時に感じた暖かみが、伝わってこない。

 それ故、不安げな目線を流雨に向ける。

「大丈夫、しずちゃん。目を閉じて」

 手のひらが動いていき、額の一点で止まる。

 それと時を同じくして、二人の周りに床の水がせり上がり、他との壁を作っていった。

 僅かではあるが、水が動く時に初音は言霊への抵抗を感じた。

 しかし、まだ卯月が動く気配はない。

 彼女に視線を向ければ、首を横に振ったので、まだ平気と言うことだろう。

 彼女が水の盾に手をかけると、上昇気流が起きたのか、中の二人の髪が遊び始めた。

『かの時に戻りし確かな記憶 力を今に想いを両に 月人に関わりし少女の運命をそのままに 汚れ無き想いの果てにある 僅かな希望を大きな物に……』

――――変わらぬ想い 強き意志 その御名 陸ノ月 水無月

 流雨の背から翼の形をした光が溢れ出し、蝶のように羽ばたき始めた。

 強い光を放つ片翼が雫の頭に、もう一方が流雨の頭に触れると、翼は姿を消す。

 盾が崩れていき、部屋中を満たしていた水が、全て跡形もなく消えていった。

 それと時を同じくして、金属にヒビが入ったような音が、空間に響いた。

 穏やかだった彼女の顔つきが、突如厳しいものに豹変する。

 目の前で、動きを封じたはずの卯月が、ゆっくりと立ち上がったのだった。


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(2004/03/29訂正)

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