第弐拾参話 『止められない歯車』

 口角を上げ微笑む様は、人でないものに見えた。

 そこにいるのは卯月ではなく、別の者であることは明白である。いや、卯月の体を使った誰かと言うべきだろう。

『知っていてなお、戻すか……愉快なものだな』

 胸元の月人の証、三枚の桜の花びらをかたどった痣からは、入り込んだ者を拒絶するかのように鮮血が流れ始めていた。

『何を企んでいる』

『企む? 数百年ぶりの挨拶がそれとは、つれないな』

 目を細め、笑みを浮かべただけなのだが、ただそれだけで初音と雫は背筋が凍るような思いがした。

 過去――前世での記憶は恐怖という名の枷となり、重く足にのしかかる。

 卯月の中にいる誰か。それが与えた月人達への傷は、かなり深い。

 身体的な物もあるが、それ以上に味わった精神的苦痛の方が色濃く残っている。

 初音も雫も記憶を全て持ってしまったがために、その効果は絶大だった。

『無駄話をするつもりはない。さっさと、そこから出ていって貰おうか』

『それはまるで悪者の扱いだな。いい加減、あらためて欲しいんだが……』

 触れようとした誰かの手をはたくと、『彼女』は一歩ばかり後ろにさがる。

 二人に近づいたことで、若干の緊張はほどかれた。

 半瞬間を置いて、三人と誰かとの間に流雨が両手を広げ、立ちはだかった。

 無言で……いや、言葉を発すれば臆しそうなため、何も言えずに相手を睨みつける。

『どけ、ただの幽霊となった者に、用はない』

 クックッと喉を鳴らし笑うと、誰かは右手の人差し指をゆっくりとなめた。

 姿形は卯月のままなのだが、動作一つ一つに違和感を覚える。

 人差し指をゆっくりと降ろしていき、血がにじみ出続ける月人の証に触れた。

 左手でつかんでいた一枚の符に、その血で紋様を描くと、流雨に向かって投げつけた。

「?!」

 青い火花が飛び散ると共に、符から文字が浮かび上がる。

 文字は流雨を取り囲み、卵形の結界を作っていった。

『現世(うつしよ)に浮つ世(うきつよ)に、我の帳(とばり)に捕らえし小鳥。はぐれ者と聞き込みて、その存在を認知せず、その姿を我は認めず……』

『人を操る悪しき者、我は力の介入を拒む。その者の体より、立ち去れっっ!』

 話の通じない相手と察すると、彼女が容赦ない言霊をぶつけた。

 位置的に後ろにいた二人には見えなかったが、彼女の瞳が一瞬だけ、血のような紅でなく金色に変わった。

 卯月の体にダメージは見られない。

 物理的な攻撃でなく、言霊という特殊な力を使ったためだろうか?

 流雨の周りにあった結界は、誰かが気を逸らすと消え去った。

 卯月の後ろにある影が、分離されたからか怪しく揺らめく。

『まだ分かっていないのか。与えた分、力は減ると言うことが……つまらぬな。あと二人の目覚めを待つとしよう』

 自己完結を済ませた『誰か』は、急速に気配を退け始めた。影もそれに伴い徐々に薄れていく。

 こちらには何事もなく済んだと思われた。

 しかし、『誰か』は余計な置きみやげをしていったのである。

「え……何で」

「『流雨(ちゃん)!』」

 少しずつではあったが、何故か流雨の姿が薄れ始めていた。

 グラリと揺れた卯月の体を、初音が慌ててしっかりと受け止める。

 流雨の事も気にかかったが、彼女と雫がそちらを見ている以上、こちらを無視するわけにもいかない。

 それに、消滅を止められないことを、唯一理解していた。

「先程の結界符の力が、今更働いた……ということか。嫌な置きみやげをしてくれる」

 冷たすぎる気はするが、最も的確な意見だった。

 指先、肩、足とそれぞれの部位が光へとかわっていく。

 砂の像が崩れるように、雲が青空に溶けるように、急速に流雨の体は失われていく。

「私はまだ、み……な…………」

 差し出された流雨の右手を、彼女の手がつかむ事はなかった。

 虚空を切ったその手の先に、焦点の合わぬ目でもう残されていない残像を探す。

「る……う?」

 絞り出した声は、震えて正しい音には聞こえない。

 ぱたり、と彼女の頬を伝って暖かな雫が舞い落ちる。


 どうして守れなかったのか……


――――またワタシが無力だったから


 何故こんなことが繰り返されなければならないのか……


――――それはきっと、刻ノ宮の者達の、抗えぬ運命だから


 どうして?


――――ドウシテダロウ


 意味をなすことのない自問自答の繰り返し。

 答えが無くとも、心の枷がはずれた今、力の暴走が起こる確率は高い。

 顔を上げた初音は、伏せ目がちながらも、しっかりと彼女を見つめた。

「戻れ……無月」

 それは、あたたかな言霊だった。

 想いよ伝われ。

 心よ届け。

 願いよ、『彼女』と彼女を分け隔てる水鏡の向こうへと……

 今、彼女を暖かく包み込むことができるのは、おそらくこの世でたった一人だけ。

 全てを理解しているからこそ、初音は呼びかける。

「無月、戻ってきてくれ。現実はあまりに……彼女にとっては酷すぎる」

 雫はその時、初音に重なるかつての『霜月』を視た。

 背格好が似ているせいだろうか、それは一瞬のことだった。

 あの背中に幾度守られただろう。

 自分の力が、全く役に立たないことが歯がゆかった。





 + + +





 水鏡から外を覗いていた無月は、悲しげに目を伏せた。

『有月(うづき)ちゃん、今はまだ……』

 右手を水鏡に沈めていけば、対称の位置から右手が現れる。

 沈めた右手を、水鏡の向こう側の額に向けると、静かに歌い始めた。


汝が視たのは うたかたの幻


   記憶の違いと 思いこみと


    悲しきかな 悲しきかな


      刻の楔に縛られた


        想いを彼方へ 忘却の海へ


 水鏡は波紋を呼び、手を中心に水が退いた。

 両手を広げ、彼女を抱きしめようとすると、二人の位置は『入れ替わった』。


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(2004/03/29訂正)

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