――――歌が聞こえた 気がついたのは四月の終わり。 入学してからまだ一月も経たない頃だった。 昼休みになると、必ず時計塔の方から聞こえるのである。 気になって見に行ったのは、五月に入ってから。 歌は聞こえても、そこには何もいなかった。 (いないのに声がするのは、恥ずかしがっているから……だっけ) 相手が何であれ、存在を認めればでてきてくれる。 それから、弥生の昼休みの時計塔参りが始まったのである。 + + + 「また、弥生がいないっス……って、十六夜。どこ行くっスか?」 昼休み。 昼食を終えた紅葉は、弥生探しを始めようとしていた。 近頃は、その日課をやらなければ、気が済まないのである。 共に探そうと、十六夜に声をかけたのだが、珍しいことにどこかへ出かけようとしていた。 「ん、ちょっと……ね」 「まさか、呼び出しじゃ……」 「違うよ。心配しないで、紅葉ちゃん」 もう前とは違うんだから、と十六夜は苦笑いを浮かべる。 教室前で紅葉と分かれると、初めてであった裏庭を目指した。 + + + 六月になってしまえば晴れる日も少なくなるから、と無月と初音は裏庭でお弁当を広げていた。 「……どうしたの? 初音ちゃん」 無月は、朝からずっと悩んでいるような横顔が気になっていた。 卵焼きを口に運んだ初音は、どうしたものかと思う。 しかし、もとより聞くつもりだったのだ。あちらから聞いてくれたのだし、良い機会だろう。 「師走は、何故最初ではないんだ?」 主語はあえて抜かした。 躊躇されるか、誤魔化されるとも思ったが、意外にも無月はすんなりと口を開いた。 「んー……それは」 「あ、やっぱりここだった」 草原をかき分けて、黒いウサギのぬいぐるみが顔をのぞかせた。 いや、正しくは黒いウサギのぬいぐるみを持った人物が現れた。 「こんにちは、姫様。初音のねーちゃん」 この学校で、ウサギのぬいぐるみを持ち歩いていると言えば、思い当たる人物は一人。 「ほえ? あ、十六夜君。こんにちは」 「長月……」 「ちょっと、聞きたいことがあるんですが、いいですか?」 実はちゃっかりシートを引いていた二人。 二人の了解を確認し、十六夜は靴を脱いであがりこんだ。 その間に、二人は箸を置き、食べかけていたモノを無理矢理お茶で流し込む。 きちんと正座する十六夜に、一息ついてから、視線をあわせた。 「初音のねーちゃんは完全に記憶を取り戻したって聞きました。で、ぼくにもそれができないかな、と」 「長月、それは……」 「だって、姫様は全部知ってるんでしょ? 昔のこととかを……そして、昔みたく黙っている。……違う?」 初音の制止を止めず、十六夜は一気に言葉をはき出す。 ぬいぐるみを膝の上で遊ばせている割に、随分と鋭いことを言ってのけた。 十六夜の暗緑色の瞳がすっと細められる。 全てを見透かしているような光を宿し、過去と変わらぬものがそこにあった。 やはり、彼も気づいている。 記憶――情報が少ない上でなのだから、流石と言うべきか。 「十六夜君は……それでいいの?」 前世の記憶とは、そう簡単なモノではない。 人一人の一生の記憶が、映画を見たようにではなく、自らが体験したモノとして脳内に再生されるのだ。 受け止める器があるならば、いい。 だが…… 「構いません。ぼくは多分……知っていた方がいいと思うから」 【知る怖さよりも、知らない方が怖いだろう。無知であるが故の罪は、何よりも重い。知っているならば、止めることもできるだろう?】 初音はふと、昔の『長月』の言葉を思い出していた。 やはり、どこか魂の本質は同じなのだ、と思う。 「そこまでいうのなら、魂に課せられた封印を解いても良いけど……後悔はしないね?」 無月は、責任はとらないよ、と重ねて言った。 しかしそれでも十六夜の決心は揺らがない。 膝の上にあったお弁当箱をどかすと、一歩前にでた。 ゆっくりと目を閉じる十六夜の額に、無月は手をふれた。 「我 神の理(ことわり)にしばし触れたし 我が力により 魂にかけられし封印の枷を無きものに」 外ではなく、中への力故に、見ている限りでは何が起きたかは分からなかった。 しばらくして、十六夜の体がゆっくりと傾ぐ。 手を離した無月は、その体を抱き留めた。 「無月……?」 「大丈夫。十六夜君の場合、実年齢と『長月』との歳が少し離れているから、落ち着くまで時間がかかると思うよ。初音ちゃんの場合は、映像って形がなかった分、楽だったでしょ?」 確かに、初音のよみがえった記憶に映像は存在しなかった。 なにより混乱の原因となる視覚、それが欠けていた。 だからこそ、あれだけすぐに持ち直せたのだから。 「守八乃(かみはの)先生の所へ、連れて行く必要がありそうだな。しかし、いいのか? 学園で力を使っては……」 「有月ちゃん? それなら平気。鏡の向こう側からのぞけるのは、私だけだから」 そのとき、かすかな歌声が聞こえた。 方向は時計塔。今までは聞こえていなかったというのに。 「鐘……鈴使い、か」 「弥生ちゃん、ずいぶん前から気づいてはいたみたい。でも……」 「あの少女には、何も思い出してほしくはないな」 こくり、と無月は静かに頷いた。 魂の本質が同じである限り、皆どこかは似通っている。 それが分かっているからこそ、あの少女には願うのだ。 もう二度と、あんな悲しいことにはなってほしくはないと。 + + + 「弥生―! どこっスかぁ?」 昼休みはそう長くはない。 昨日は十六夜が見つけだしてくれた。 自分よりも彼の方が捜し物が得意であることは、何より紅葉自信がよく知っていた。 荒くなった息を整えて、空を見上げる。 風読みができるわけではない、けれど何かを感じた。 「気のせい……っスか?」 それにしては、なんだかはっきりしたモノのように思える。 風が、駆け抜けた。 「これは……?」 時を同じくして、何かを感じ取った者がもう一人。 「どうした、薫」 部活棟二階 生徒会室で、睦月達と共に食事をしていた皐月 薫である。 窓を開けていなかった故に、ただの風とも思えない。 しかし、命令でもないのに様子見に行くことなど、薫にはできなかった。 「いえ、風が」 「風?」 どうやら睦月は気づかなかったらしく、首を傾げた。 主がこうであるのだ、気のせいだったのだろうか? 「薫の気づいた風なら、月人のこと……カナ。見ておいでよ、ここは大丈夫だから」 「しかし、雪影様!」 「大丈夫だって。僕もいるし、雫もいる。それにここは生徒会室だよ? ここ以上に安全な場所は無いと思うけど」 雪影に諭されて、迷いが残るものの、薫は風の吹いた方向へ向かったのだった。 + + + 時計塔の中の、天窓しかないような場所。 歌はそこから聞こえていた。 「やっと、みつけた」 声がとぎれてしまわないように、扉をゆっくりと開ける。 形のない光の粒子が、その向こうで待ちかまえていた。 back top next |
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