第弐拾漆話 『歌に願おうぞ』

――――歌が聞こえた


 気がついたのは四月の終わり。

 入学してからまだ一月も経たない頃だった。

 昼休みになると、必ず時計塔の方から聞こえるのである。

 気になって見に行ったのは、五月に入ってから。

 歌は聞こえても、そこには何もいなかった。

(いないのに声がするのは、恥ずかしがっているから……だっけ)

 相手が何であれ、存在を認めればでてきてくれる。

 それから、弥生の昼休みの時計塔参りが始まったのである。





 + + +





「また、弥生がいないっス……って、十六夜。どこ行くっスか?」

 昼休み。

 昼食を終えた紅葉は、弥生探しを始めようとしていた。

 近頃は、その日課をやらなければ、気が済まないのである。

 共に探そうと、十六夜に声をかけたのだが、珍しいことにどこかへ出かけようとしていた。

「ん、ちょっと……ね」

「まさか、呼び出しじゃ……」

「違うよ。心配しないで、紅葉ちゃん」

 もう前とは違うんだから、と十六夜は苦笑いを浮かべる。

 教室前で紅葉と分かれると、初めてであった裏庭を目指した。







 + + +







 六月になってしまえば晴れる日も少なくなるから、と無月と初音は裏庭でお弁当を広げていた。

「……どうしたの? 初音ちゃん」

 無月は、朝からずっと悩んでいるような横顔が気になっていた。

 卵焼きを口に運んだ初音は、どうしたものかと思う。

 しかし、もとより聞くつもりだったのだ。あちらから聞いてくれたのだし、良い機会だろう。

「師走は、何故最初ではないんだ?」

 主語はあえて抜かした。

 躊躇されるか、誤魔化されるとも思ったが、意外にも無月はすんなりと口を開いた。

「んー……それは」

「あ、やっぱりここだった」

 草原をかき分けて、黒いウサギのぬいぐるみが顔をのぞかせた。

 いや、正しくは黒いウサギのぬいぐるみを持った人物が現れた。

「こんにちは、姫様。初音のねーちゃん」

 この学校で、ウサギのぬいぐるみを持ち歩いていると言えば、思い当たる人物は一人。

「ほえ? あ、十六夜君。こんにちは」 「長月……」

「ちょっと、聞きたいことがあるんですが、いいですか?」

 実はちゃっかりシートを引いていた二人。

 二人の了解を確認し、十六夜は靴を脱いであがりこんだ。

 その間に、二人は箸を置き、食べかけていたモノを無理矢理お茶で流し込む。

 きちんと正座する十六夜に、一息ついてから、視線をあわせた。

「初音のねーちゃんは完全に記憶を取り戻したって聞きました。で、ぼくにもそれができないかな、と」

「長月、それは……」

「だって、姫様は全部知ってるんでしょ? 昔のこととかを……そして、昔みたく黙っている。……違う?」

 初音の制止を止めず、十六夜は一気に言葉をはき出す。

 ぬいぐるみを膝の上で遊ばせている割に、随分と鋭いことを言ってのけた。

 十六夜の暗緑色の瞳がすっと細められる。

 全てを見透かしているような光を宿し、過去と変わらぬものがそこにあった。

 やはり、彼も気づいている。

 記憶――情報が少ない上でなのだから、流石と言うべきか。

「十六夜君は……それでいいの?」

 前世の記憶とは、そう簡単なモノではない。

 人一人の一生の記憶が、映画を見たようにではなく、自らが体験したモノとして脳内に再生されるのだ。

 受け止める器があるならば、いい。

 だが……

「構いません。ぼくは多分……知っていた方がいいと思うから」



【知る怖さよりも、知らない方が怖いだろう。無知であるが故の罪は、何よりも重い。知っているならば、止めることもできるだろう?】



 初音はふと、昔の『長月』の言葉を思い出していた。

 やはり、どこか魂の本質は同じなのだ、と思う。

「そこまでいうのなら、魂に課せられた封印を解いても良いけど……後悔はしないね?」

 無月は、責任はとらないよ、と重ねて言った。

 しかしそれでも十六夜の決心は揺らがない。

 膝の上にあったお弁当箱をどかすと、一歩前にでた。

 ゆっくりと目を閉じる十六夜の額に、無月は手をふれた。

我 神の理(ことわり)にしばし触れたし 我が力により 魂にかけられし封印の枷を無きものに

 外ではなく、中への力故に、見ている限りでは何が起きたかは分からなかった。

 しばらくして、十六夜の体がゆっくりと傾ぐ。

 手を離した無月は、その体を抱き留めた。

「無月……?」

「大丈夫。十六夜君の場合、実年齢と『長月』との歳が少し離れているから、落ち着くまで時間がかかると思うよ。初音ちゃんの場合は、映像って形がなかった分、楽だったでしょ?」

 確かに、初音のよみがえった記憶に映像は存在しなかった。

 なにより混乱の原因となる視覚、それが欠けていた。

 だからこそ、あれだけすぐに持ち直せたのだから。

「守八乃(かみはの)先生の所へ、連れて行く必要がありそうだな。しかし、いいのか? 学園で力を使っては……」

「有月ちゃん? それなら平気。鏡の向こう側からのぞけるのは、私だけだから」

 そのとき、かすかな歌声が聞こえた。

 方向は時計塔。今までは聞こえていなかったというのに。

「鐘……鈴使い、か」

「弥生ちゃん、ずいぶん前から気づいてはいたみたい。でも……」

「あの少女には、何も思い出してほしくはないな」

 こくり、と無月は静かに頷いた。

 魂の本質が同じである限り、皆どこかは似通っている。

 それが分かっているからこそ、あの少女には願うのだ。

 もう二度と、あんな悲しいことにはなってほしくはないと。





 + + +





「弥生―! どこっスかぁ?」

 昼休みはそう長くはない。

 昨日は十六夜が見つけだしてくれた。

 自分よりも彼の方が捜し物が得意であることは、何より紅葉自信がよく知っていた。

 荒くなった息を整えて、空を見上げる。

 風読みができるわけではない、けれど何かを感じた。

「気のせい……っスか?」

 それにしては、なんだかはっきりしたモノのように思える。



 風が、駆け抜けた。



「これは……?」

 時を同じくして、何かを感じ取った者がもう一人。

「どうした、薫」

 部活棟二階 生徒会室で、睦月達と共に食事をしていた皐月 薫である。

 窓を開けていなかった故に、ただの風とも思えない。

 しかし、命令でもないのに様子見に行くことなど、薫にはできなかった。

「いえ、風が」

「風?」

 どうやら睦月は気づかなかったらしく、首を傾げた。

 主がこうであるのだ、気のせいだったのだろうか?

「薫の気づいた風なら、月人のこと……カナ。見ておいでよ、ここは大丈夫だから」

「しかし、雪影様!」

「大丈夫だって。僕もいるし、雫もいる。それにここは生徒会室だよ? ここ以上に安全な場所は無いと思うけど」

 雪影に諭されて、迷いが残るものの、薫は風の吹いた方向へ向かったのだった。







 + + +







 時計塔の中の、天窓しかないような場所。

 歌はそこから聞こえていた。

「やっと、みつけた」

 声がとぎれてしまわないように、扉をゆっくりと開ける。

 形のない光の粒子が、その向こうで待ちかまえていた。


back top next

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送