第参拾壱話 『回り始める……』

止められぬ 刻へと進むのは

彼女の望んだ 正しき未来

鎖を持つ彼は まだ何も知らず

辺りの変化に気づいていない



 欠落の違和感。

 そんなものを師走が覚えたのは、六月の初めだった。

 漠然とした物で、何故そうなったのかは分からない。

 ただ何かが足りないと、胸の奥からわき上がってくるのである。

「……変だな」

 初めは大して気にも留めなかったのだが、一週間も続けばさすがの師走も違和感を覚え始めた。

「なぁ、むー」

「どしたの? しー兄」

「オレ、何か大事なこと忘れてるか?」

「……え?」

 初め無月はなんのことだと首を傾げた。

 しかし、一つだけ思い当たる節はある。

 それは、ずっと忘れていて欲しいことだった。

「急になんで?」

 変なの、と笑って返せば、困惑した瞳と出会った。

「どうにも、最近変な感じがしてな。オレの気のせいか?」

「きっとそうだよ。それより、しー兄。今日は夜ご飯何にする?」

 未だ大丈夫。

「そうだな……久々に、中華が良いな」

 師走が全てを思い出す前に、終わらせる。

 無月は心の中でそう決心したのだった。







 + + +







 『彼』にだけ分かる手紙を送ったのは、一週間くらいしてからのこと。

 新月に限りなく近い頃のことである。

 会いに行くことを初音に告げると、彼女は同行すると言い張った。

「でも初音ちゃん。危ないよ?」

 初音には『彼』に伝えることを教えて、待っていてもらうことにしていたのだ。

「無月一人行かせることの方が、心配だ」

「……うーん。でも彼女のことを知ってるだろうし、平気だと思うけど?」

「それでもだ」

「…………」

 結局、折れたのは無月のほうだった。

 師走に初音の家に泊まることを告げると、自分は葉月の家にでも行くと言っていた。

 久方の来訪だから、先方も許してくれるだろうという読みらしい。

 無月はそれを聞いて小さく笑った。





 放課後は校舎内で時間を潰し、部活動の生徒が帰る頃は開かずの間でひっそり待機していた。

 必要ないからまた、誰かに見つかるわけにはいかないから、明かりはつけなかった。

 この場所を知ってる者にさえ、気づかれては困るからである。

 購買部で手に入れておいたもので、簡単な食事を済ませ時間が来るまでしばし眠った。

 冬ではないから、風邪の心配はなかった。









 + + +









 新月が近づくこの日、月は早々に姿を消した。

 中庭、池のそばにくると、無月は空を仰いだ。

 約束は真夜中。もうすぐだった。

「無月。彼は言葉を信じてくれるだろうか?」

「さぁ。でも、有月ちゃんのことが一番大事なはずだから」

「うづき、か」

『気安く彼女の名を呼ばないでもらおうか』

 人影が一つ増えた。

 卯月の姿が泉に移り込み、その体から何かが抜け出す。

 懐かしい、というと随分遠い記憶だが、かつて聞いたのと同じ声だった。

 透き通った、黄緑がかった灰髪の青年が、そこに現れる。

『それに彼女の名は……』

 言葉が続くことはなかった。

 彼が悔しそうに、顔をゆがめる。

 本当の名を口に出来るのは、目の前にいる巫女だけなのである。

「お久しぶりと言うべきなのかな、神乃 日次(かみのひなみ)」

『覚えていたのか、刻ノ宮の巫女』

 右目のない彼――日次の唯一の光である左目が、二人を見下ろした。

 顔の右半分にある、焼かれたような跡と、顔の右下から左上に走る三本のひっかき傷が、印象的だった。

 そこにいないはずの彼の髪を、現実の風が揺らす。

 無意識のうちに、初音は体が竦んでいることに気が付いた。

 彼は怖いと、どこかで覚えているのかもしれない。

「忘れはしない。刻ノ宮を滅ぼした人だもの」

『要因を作ったのは、そっちだろう。ごたくはいい。あんな手紙で読んだのは何故だ』

「有月ちゃんを貴方に返すため。そして……刻ノ宮を終わらせる」

 日次は、疑うようにじっと無月を睨み付けた。

『それはどういう風の吹き回しだ? 今更許せとでもいう……』

「許してくれとは言わないし、言う資格がないって知っている。
 ただ、あの時では不可能だったことが今ならできる、と言いたいだけ。
 そのために……全てを話すから」

 それは、封じられた刻ノ宮の歴史。

 人々は忘れても、巫女だけは忘れることを許されず、時に人の記憶には残らないようにしてきたもの。

 無月は日次を見据えた。

「それを聞いた上で決めて欲しい。有月ちゃんを帰すために、やらなくてはいけないことがあるから」

『信用しろ、と?』

「私の命をかけろと言うならば、賭ける。それだけの覚悟はある」

 後ろで、初音が焦るのが何となく感じられた。

 これは初めから無月が一人で決めたことだった。

 日次はと言うと、疑うような視線をやめていた。

 『巫女』は沈黙することはあっても、発言に嘘を絡めることはできないという確信があったからである。

 彼の姿がゆっくりと、無月の視線まで降りた。

『そこまで言うならば、聞こうか……だが、後ろのあれはいいのか?』

「彼女は昔から全て知ってる。私が、話した唯一の人だから。そして、知っておいて欲しいだけ」

『ふうん。まぁ、いいさ……さ、初めてもらおうか。刻ノ宮の巫女』





【ごめんね、師走】






 手の中にあった物が擦り抜けていく。

 失ってはいけないはずの物を無くす、そんな予感が走る。

「ダメだ、無月!」

 目の前にある腕を掴んだところで、師走は現実に引き戻された。

「どうしたの? 師走君」

 腕を掴まれた葉月はと言うと、驚いた顔をしていた。

 部屋の中には、動き続けるDVDプレイヤーの稼働音と、スタッフロールの流れるテレビのBGMだけがあった。

 どうやら、映画を見ていた途中で寝ていたらしい。

 どっと、汗が噴いた。

「いや……なんでもない」

「何でもないって顔じゃないと思うけど……そう言うなら」

 不思議そうにしていた葉月は、しょうがないと言いたげに肩をすくめた。

「けど、師走君が無月ちゃんのことを名前で呼ぶって珍しいね」

「……そうか?」

「そうだよ」

 言われてみれば、滅多なことがない限り名前で呼ぶことは少ない。

 昔から『しー兄』と『むー』と呼んでいた、それが師走にとっての日常だから。



名前を呼ぶことで、何か思い出すのが嫌だったから。

それが意味を持っていることに、未だ気づけない。



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動き出します、最後の月人の話。
そして、刻ノ宮の真実も見えてきます。
今まで姿だけだった彼、日次も登場。
役者はそろいましたよ♪

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