第伍話 『弓道場に住まう影』

天から落つる 白き花は

時として人を惑わす幻を生む

大きすぎる力を望む者が餌食となる それは偶然ではなく必然




 学園 西に位置するは武芸館棟 その一番南体育館横にある弓道場。

 三月も中頃というのに、その日は雪がはらはらと降っていた。

 人の踏み込んでいない庭の奥には、規則正しく並んだ、黒い線で描かれた二つの丸の大きな円の的がある。

 開かれた弓道場にある人影は4つ。

 私服の無月、いつものようにツツジ色の着物に紺の袴をはいた睦月。そして、弓道の胴着を着た者が二人。

 弓を引く音が響き、矢の放たれる音が規則正しく続く。放たれた矢は全て的をしとめている。

 だが、彼にしては珍しく、中央から若干ズレが生じていた。

 今まで矢を放っていた人物は、手元の矢が無くなると、弓を左から右に持ち替え一礼した。

 長身の彼の髪色は薄淡い茶。蒼の目は垂れ目。そして左の口端に、ほくろがあった。

 乱れた袖を直し、見ていた3人の方に歩み寄ってくる。

 無月と睦月は拍手を送り、もう一人は立ち上がると弓を受け取った。

「流石ではあるが、何か迷いがあると見えるな。貴様ほどになると、的ははずさぬようだが」

「……ほめ言葉として、受け取っておきますよ。部長殿」

「名前で呼べと何度言えば分かる、如月」

 声音が少し不服そうになった。

「僕が名前で呼ぶと決めていないから無理ですよ。それに、部長殿は部長殿でしょう?」

 にっこりと微笑まれては、何も言い返せなかった。

 この悩殺エンジェルスマイルは、おそらく彼にしか繰り出せないであろう代物である。

 本心を隠した上辺だけのきれいな笑顔。

 それが分かっていても、魅了される者は多い。

「ですが、少し頭を冷やしてきますよ。部長殿の言った迷いを消すために」

「外は雪だぞ、如月」

「だからです。僕は雪の方がいいんですよ」

 そう言って生徒会副会長こと如月雪影は弓道場の外に出ていった。

 ため息をつき、弓を受け取った人物は二人の方を振り向いた。

 かなり短めのショートカット。色は根本が黒で先が茶色になっている。(本人曰く地毛で、実際のびて切ると必ず先は茶色くなっている)目は紺に近い黒。顔の左側は包帯が巻かれていた。170p代の背は、女子にしては少し高めである。

「すまぬな釉豼(ゆうひ)。雪影も悪気はないと思うが……」

「いやかまわんよ。いつものことだ。それより二人とも、私のも見てゆくか? 今日は調子がいい」

「ほんと? 釉豼ちゃん」

「ああ」

 にっこり微笑むと、先程渡された弓の弦をはずし、規定の場所に置いた。

 そして変わりに自分の弓を取る。左手で弓を構え、右手で矢を取った。

 的の位置を確認すると、立ち位置を決め、見えている右目も瞑った。

 そして、軽々と大きい弓を引き、持っていた矢を放った。

 きれいに放物線を描くわけではなく、真っ直ぐと飛んだ矢は、的を貫いた。

 両目を瞑った(左は勿論包帯で見えていない)状態であるにもかかわらず、矢は的の中央を貫いていた。

 これが、弓道部部長 蕪木 釉豼(かぶらぎゆうひ)の実力である。ちなみに流鏑馬も得意で、必ず的の中央を射るという。

 続けて五本ほど矢を射ると、右目をようやく開けた。

 二人はその姿に、何も言えなかった。

「で、一体何の用で来たのかな? 今日は公務はないはずだよね、睦月」

 右を見ると、肩と頭を少し濡らした雪影が座ろうとしていた。

「特にこれと言っては。邪魔をしたか?」

「いや……」

 正面を見据え表情は変えないまま雪影は続ける。

「むしろ来てもらって助かったよ。今日は部長殿と二人だけだから。間が持たないと思っていたし、ね」

「そうか」

「それに、久々だよね。睦月が自分から見に来るなんて。このところ何か別のことで忙しそうだったし……うれしいよ」

 微笑まれたので睦月はどう答えようか迷ったあげく、適当な言葉が見つからなかった為曖昧な微笑みを返した。雪影の必殺――否、悩殺エンジェルスマイルが効かない女生徒は、おそらくこの睦月と、そう言うことにしばし疎い無月くらいであろう。

(それにしても、今日は妙に静かだな。確か前に来た時、弓道場は……)

 いつもならば、弓道場に入りたくとも入れない(釉豼が部員以外を立ち入り禁止にした為)ファンの群れが、弓道場の外に押し寄せる。当然それだけいれば、声は弓道場の中まで届いたりもする。

 雪影のそれが主だが、釉豼のそれも負けじと多い。

 いくら悪天候とはいえ、それだけでいないのは妙だ。

「雪影、外に人はいないのか?」

「うん。珍しいこともあると思ったけど……それがどうかしたかな?」

「……うむ。少しな」

 チラリと睦月の横顔をみやると、難しそうな顔をしていた。

 最近はそんな顔しか見ていない気がする。

 雪影としては、あまりおもしろくなかった。

(そういえば、この前は10伝説のことを聞かれたなぁ。何だっけ? ああ、そうだ)



学園10伝説の四つ目は武芸館棟にまつわるものである

その昔 剣道 柔道 弓道 全てにおいて優秀な生徒がいた

だが 彼は一度として大会に出ることはなかったという

そしてその者は 学園の卒業前に事故でなくなった

そう 今日のように はらはらと舞い散る雪の降る日に

それ以来 白き幻が武芸館棟に現れることとなる

それを見た者はどの武芸であっても 腕が上がる

しかし 必ず事故に遭い 不幸に見舞われ もう二度とそれが出来なくなるという




(興味がないと言えば嘘だ。だけど、本当に白の幻が出たなんて一度も……)

 何気なく一礼している釉豼に目を向けると、視界の片隅に白い何かが写った。

「……?」

 しかし、気のせいだったのか、見直した時には何もなく、静かに雪が降り続けるだけである。

「雪影?」

「ん……いや。何でもないよ」

 心配はかけまいと、雪影は何も言わなかった。





 + + +





一週間後――――再び弓道場

「部長殿、日に日に人数が減っていませんか?」

「気のせいだ」

「そうは思えませんよ? 部員の半数以上が休んでくるとなると」

「……」

 今は丁度休憩時間である。

 ついこの前の釉豼と雪影の練習日…無月と睦月が見学に来ていた日の翌日から徐々に部員が休みだしていた。

 その全てが、事故に遭ったり、病気になったりである。

「……白い影……」

「はい?」

 一瞬聞き違いかと思えるほど、小さなつぶやきだった。

 10pほど背の違いがあるため、時々起こる問題だ。

 雪影はじっと耳を澄ませた。

「俗に言う白き幻だ。休んでいる連中は、それを見たと口々に言っている」

「雪と間違えた、ワケではないですよね?」

 あの日からずっと降り続けている雪。

 強まることも弱まることもなく静かにはらはらと降り続ける雪。

「ああ。そもそもこのような小さな粒と、人影ほど大きな白き幻を見間違えようがない」

 一体どういう事だろうか……という、釉豼の言葉が雪影の耳の奥に残った。



 + + +



「……げ……き……げ。……きかげ。雪影!」

 幾度目かの呼び声で、雪影はハッとなった。

「大丈夫か?」

「あ、ああ」

「弓道部の方で、何かあったのか?」

 相変わらず鋭い……と、雪影は感心してしまう。しかし、今ここで言えば睦月を巻き込むこととなる予感がした。

「いや……そうじゃ……ない」

「……雪影、お前が言ったのだぞ。"何かあれば力になる"と。それとも我の心配など、邪魔な産物か?」

 少し寂しそうな目で見上げられ、雪影は詰まってしまう。

 殆ど表情を崩さない睦月に、こんな顔をさせるのは雪影くらいだったりもする。

「そうじゃない。けど、睦月にあまり心配をかけたくないだけで……」

「やはり、何かあったのだな?」

 しまったと思ったが、時すでに遅し。仕方なく、雪影はどんどん休んでいく部員のことを話した。

「やはり、次はそこか」

「え?」

「薫! 急ぎ無月を呼びに行ってくれ。後の二人は……いい」

 弓道場で何かあった時、大人数だと対処しきれないと考えた末の結論である。

「はっ」

 控えていた薫はすぐさま行動に移った。

「睦月、次はそこって?」

 説明したいがまだ話せぬ苦しみに、睦月は苦笑いを浮かべるだけだった。



 + + +



 息を乱した無月が生徒会室にやってきたのは、一時間ほどしたころだった。

「むつ……きちゃ……ん?」

「すまぬな無月。突然呼び出して」

「うう……ん。家……にいた……から。見……つかった……の?」

 言葉がとぎれとぎれになるほど走ってきたのだろう。

 差し出された冷たいお茶を一気にのどに流し込むと、数回深呼吸をし息を整えた。

「まだ、不確定だがな。あまり被害のでぬうちに押さえておかねばならぬ。といっても、すでに大分広がってはいるようだが。薫、準備をしてくれ。それか……っ雪影?!」

 突如後ろから抱きすくめられ、無月は頬を赤く染めた。

「ゆっ……」

「仲間外れって嫌いだなぁ。僕に手伝えることってない?」

 この時雪影の目線の先にいた薫は、寒気を感じていた。

 声音こそ優しいが、雪影の纏う雰囲気は黒いものがある。

「っお、お前も弓を持ってきてくれ。おそらく弓道場の白影は……」

「……ふ〜ん。分かった」

 手を離す時に、ちゃっかり睦月の後ろ髪の先に口付けると、雪影は自分の荷物を取りに行った。

 しばしの間、固まって余韻に浸っている睦月だったが、無月の視線に気付くと慌てて自分も用意をし出した。

 そんな様子を見て、無月が微笑んでいたとかいなかったとか。

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(2004/03/29訂正)

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