その5

 下に落ちていく感覚……それが薄れた時、前と違い俺の両足は地面についていた。
 お、今回は、まともじゃん。と、俺が思ったのもつかの間。
 目を開けてみたら、そこは……
「野原なのか? ここが」
「そ、爪月華の野原。まぁ見ればわかるだろうけど、こういう理由で確かな位置は知らないんだ」
 俺達のいる場所は確かに野原だ。
 しかも、かなり広い場所。
 だけど……
 だけどなんで……
 空中なんだよっ!
 バビロンの空中庭園じゃねぇんだからさ、普通にあってもいいだろうよ。
 しかも、浮いているわけでもなく、巨大な……それこそ山のような木の上に広がっている。
 ま、魔界にまともな場所を求めた俺が、変なんだろうけど。
「にしても……爪月華って、これ全部がか?」
 俺は手を伸ばし、その辺に生える草を取ろうとした。
 草と称したのは、庭先とかに生えているようなのと大差なく見えたからだ。
「あっ、ちょっと待って! そのまま触ると怪我す……」
 水菜が注意したのが遅い所為でか、俺の右手の人差し指は、紙で切ったように、すっと切れた。
 笹の葉っぱによく似たそれは、よく切れた。
 はっきり言って痛い。
「水菜、言うのが遅い」
 というか、返事なんかしている場合じゃない。
 痛てて……血が出てきた。
 傷口をよく見てみると、ホントにパックリ切れてるぞ。
 新しい紙で切った傷の大きい版に、見える。
 俺はズキズキする傷口をなめると、水菜に聞いた。
「血止めの方法とか、ないのか?」
 これは、多少押さえたところで止まらないだろう。
 別にダバダバと大量に出ているわけではないんだが。
「ん〜……爪月華はその名の通り、触れると爪で引き裂かれたような傷ができるんだ」
 何、悠長に説明しだしてるんだ? 痛ててて……
 ジワジワ出てくる血をその度になめると、口の中に錆の味が広がる。
 この味、好きになれねぇな。何度味わっても。
「治す方法っていったら、何かを煎じてその傷口に塗るしか……」
 あるんだな。治す方法が! でも……何か?
 俺は助かった。と思ったが、考えた。
「……何かって、どういうことだ?」
 水菜が苦笑いを浮かべている。
 嫌な予感。
「いやぁ……実はその重要な部分を、忘れたみたい」
 ……おい。
「ちょっと待て。そうなると、この傷、どうするつもりだよ」
「ああ〜……怒らないでよぉ。どうにか、その部分を思い出すから!」
 水菜は耳を垂らし、必死になっている。
 俺は仕方ないな……というと、比較的安全そうな場所に腰を下ろした。
 触れると切れるって、そうとう危ないじゃねーか、ここ。
 血はまだ止まらない。
 水菜はまだ考え中。
 ……暇だ。
 指が切れているわけだし、こういう機会だ。
 いっそ、血文字でも書いてみるか?
 俺が人差し指を前にだし、地面につけようとしたその刹那。
「だめ〜!! だめだめだめ〜!!」
 水菜のいる方とは別な方向から、声がした。
 声的に女の人……だとは思う。
「……は?」
 俺がその方向を見ると、誰かが駆けてくる。
 誰……だ?
「ダメじゃない! 爪月華に血をあげたら、大変なことになるわよ!」
 見上げた俺のそこにあった顔には、猫耳があって。
 な゛っ……またでた、水菜の兄弟?!!
 焦げ茶の肩に届くか届かないか程の髪。なのに、後ろに一本の長く細い三つ編み。
 長さの整っていない前髪。上着はやっぱり白。
 あとは、スカートだ。しかも、薄ピンク。
 いや、別にそんな驚くほどのことじゃないんだが、水菜も風樹も長ズボンだったからな。
 スカートの上には、上着の裾……なんか、スカートと同じだけある。
 尻尾は、火月より……さけてる? 微妙だけど。
 俺が黙り込んだからか、そいつは睨んできた。
「ねぇ、いきなり人のことじろじろ見て黙り込むのって、失礼なんじゃない?」
「……ああ、悪い。で、あんたは?」
「あたし? あたしは、林華(りんか)」
 そいつ――林華は楽しげに微笑んだ。
 ここまできて思うのだが、どうしてこう個性的な集団なのだろうか?
 性格もそうかもしれないけど、どっちかというと容姿の方。
 父親と母親の顔が見てみたい。
 髪の色が間違ってるよな、灰色(卯海)に黒(火月)、ダークオリーブ(風樹)にオレンジ(水菜)に薄茶(林華)と。
「もしかして、水菜が連れてきた、少年?」
 考えに没頭しそうなところで、声が降りかかってきた。
 何で、知ってるかな。まぁ、いいけど。
「あ、ああ」
 林華はまだ気付かない水菜をチラッとみたが、すぐにこちらを向いた。
「ふふっ、あたしは林華。林のりんに、華やかのか。次女で、歳は……250かな」
 250? てことは、火月より上で、卯海より下だな。
 こう考えると、歳的に風樹と卯海の間にもいそうだな。
 いや、卯海は次男です。って、言ってたから、いるな確実に。
「で、何で爪月華に血をあげようとしたわけ?」
 林華は思い出したかのように、尋ねてきた。
 別に血をあげようとしたわけではないんだけどな。
「そういうわけじゃなくて、暇だから、血文字でも書こうかと……」
 林華は俺の返事を聞き、唖然としている。
 まぁ普通の反応だな。血文字なんて、誰も考えないだろうよ。
「あのねぇ……そう言う理由で、血文字を簡単に使わないで頂戴。此処では特にね」
 そういやぁ……さっきもそんな事言ってたな。
 此処で使うと何が起こるんだ?
「なんで、タブーなんだ? 此処で血文字は」
 俺はまた指を少しなめた。相変わらず、嫌な血の味がする。
「血文字というか、ここで、地面に血を垂らす自体がいけないのよ。爪月華は、血を吸うと著しく成長するの、怖いくらいにね。で、人を襲う時もあるわけよ、血を求めてね」
 ……怖っ。やらねぇで、よかったぁ。
 俺は背筋が冷たくなるのを感じた。
「理由は分かったが、これ……どうにかする方法知ってるか?」
 俺はもう一度だけ指をなめ、血を止めると、林華の前に差し出した。
 林華は眉をひそめる。
「やっぱり、切られてたのね。で、肝心の水菜は何してるの? まさか、治療法を考えているとか言うんじゃないでしょうね」
 チラッと俺の傷を見ただけで、今の状況を全て把握したらしい。
 と言うか、状況の予想立てまで完璧だぞ。
 俺は……何も言えなかった。
 いや、何か言っても良かったんだが、これ以上ややこしくなるのもゴメンだしな。
「まったく、あたしがここに来て良かったと思いなさい。あんたも、いい加減気付きなさい!」
 やれやれ……とため息をついた林華は、俺の後ろにいる水菜に向かって声を張り上げた。
 んでもって、何かを投げつけた。
 どっからだした、そのスリッパ!
 耳と尻尾が一瞬ビクッと震え、頭をさすりながら、水菜は恐る恐るこちらを向いた。
 命中したんだな。結構遠いんだが……
「にゃ。林ねえ……いつから、そこにいたの?」
 林華はそんな水菜の質問に答えようとはせず、口の中で何かブツブツと呟きだした。
 それは、確かに何かの歌のようであり、何かの呪文のようであり……
 ……呪い?
 いやそれは考えすぎだといいけど。
 こいつらの場合、ありそうだからなぁ。
 その間にも、林華は言い続けている。
 そして、水菜はようやくそれに気づき、どうにか止めようと慌てだした。
「り……林ねえ、今はそれどころじゃないの! 少年の傷を治さないと!」
「問答無用。第一あんたは覚えてないんでしょ。爪月華の傷をふさぐ方法。あたしが治してあげるから、あんたはそこで反省してなさい!」
 とりあえず、俺の傷は塞がるんだな。
 それはいいが、呪いの言葉って途中で切って効くのか?
「それはないよぉ、林ねえ!」
「あ〜もう、完成しないでしょ! いやだったら、口にチャック、その場で反省! いい?」
「はぁ〜い」
 渋々水菜はその場に正座で座り込んだ。
 やっぱ、完成しないんだな。
 どうでもいいが、痛くないのか? 爪月華の上に座って。
 まぁいっか。
「さてと……傷、ふさがないとね。もう一回指だしてくれる?」
「ああ」
 血は大分止まりだしていたが、まだ出てきそうだった。
 しかしこれをどうふさぐんだ?
 水菜は薬がどうのって言っていた気がするのだが。
「こういうのは、卯海の方が得意なの。だから、少し荒治療よ、覚悟はいい?」
「ああ」
 痛いのは勘弁だってぇの。でもま、治るんだからこの際仕方ないか。
 林華は俺の指を手に乗せると、目を閉じた。
「草花に傷つけられし御身、風の癒しにて復活せん。天の加護の元に聖なる癒しの風を……」
 目に見えるはずのない風が、俺の周りを渦巻いていた。
 緑系かな。多分。
 そして、傷に触れるとまるでその中に吸い込まれるかのように、風は消えた。
 傷口が開くような感覚があったが、風が収まり指を見ると、傷がきれいさっぱり消えていた。
「すげぇ……」
 あれ? ちょっと待て。さっき水菜は何かを煎じて……とか言ってなかったか?
 全然違うじゃねぇか。これは、魔法系に入るぞ、おい。
「きれいになったでしょ。これで一安心……と」
「そっかぁぁ!」
 俺と林華は思わず振り返った。
 正座していた水菜が突然楽しげに立ち上がりこちらを向いた。
「風の修復……天風の書 その6か!」
 てんふうのしょ? 何を突然言い出すんだよ、水菜。
「遅い。どうせあんたのことだから、樹薬の書と勘違いしてたでしょ」
 じゅやくのしょ?
 林華が突然水菜のおでこにデコピンを放った。
 いつの間に動いたんだ? 俺を挟んで水菜と林華がいたはずなんだが。
「えへっ」
 おい。下手すりゃ俺の怪我……危なかったんじゃないのか?
 笑ってる場合じゃねぇって。
「基本でしょ! 天風の書 その6なんて!」
 ……まぁともかく。
 てんふうのしょにじゅやくのしょ……しょってコトは、参考書みたいなのか?
 他にも色々ありそうだな。参考書系なら面白そうだ。
 今度、見せてもらおうか。
「そんなこといってもぉ」
「まったく。だから、みんなにからかわれるのよ」
「はぁい」
 水菜の耳が下向きに垂れた。
 ガックリきてるな。そりゃ、あんだけめちゃくちゃに言われればなぁ、俺でもへこむさ。
「わかったら……この恩は3倍返しよ、水菜。黙っててあげるから」
 ……悪魔だ。
 いきなり3倍なんて。
 しかも、黙っているからという条件で釣って……
 というか、3倍返しはバレンタインのお返しなんじゃ?
 さすがにこれは、言い返せなさそうだな。
 やはり、兄弟は上に逆らえないんかねぇ。
「林ねえ……せめて、2倍」
 左手で顔を押さえつつ、水菜は右手の指を二本立てた。
 3倍は確かにきついだろうなぁ。
「仕方ないわねぇ。じゃぁ、誰かの情報だったらいいわよ」
「えっ……情報? そうだなぁ」
 水菜は林華に何か耳打ちをしていた。
 極秘情報……てことか?
 話を聞いているうちに、林華の顔つきが見る見るうちに変わった。
 悪い方にではなく、良い方にだ。
 そして、最終的には林華はにんまりと笑っていた。
 良いこと聞いちゃった。と言いたげだな、あの顔は。
「これで……いい?」
 林華からようやく水菜が離れた。
 こんな話で大丈夫だろうか……という顔をしている。
「十分。むしろ、得した気分だわ。ありがと」
 何の話だか気になるが……ま、俺には関係ないな。
 一安心した水菜は、明るくなった。
「で、林ねえ。何でここにいたの?」
「決まってるじゃない、情報収集よ。この情報通のあたしをなめないでもらいたいわ」
「にゃはは」
 成る程、だから情報なら2倍なんだな。
 にしても……こうなると、兄弟の秘密とかは全て林華が握ってそうだな。
 殺気の情報って、もしかすると……
「これで、卯海を脅せるネタが増えたわね」
 やっぱり。
 脅すのはいいが、それで何をするんだろうか?
「じゃ、早速行ってみるから」
 林華は両手を胸の前で組むと、また唄のような物を歌い出した。
 ……大地が?
 浮いていて、山のような大木で支えているはずのこの野原が微かだが揺れている。
 しばらくして、爪月華の間から蔓が飛び出してきた。
「ばっはは〜い!」
 手を振る林華は蔓の中に消えた。
 祝詞――唄それに呪言か。
 呪文使い系なんだろうな。だから、あんだけ情報にこだわってたか。
 言葉を使うやつって色んなコトを知ってたりするからな。
「林ねえ、今度は何を要求する気だろう」
 その言い方は、当然の如く前例があるんだな。
 まぁ気をつけることだな、俺も一応。
「何をってなぁ……ま、関係ないことだろ? 俺らには」
「そうだけど。そのうち、酷い目にあうかもよ」
 髪を手櫛でとかし、水菜はこちらを向いた。
 酷い目……ね。
「覚えとくよ」
「さて…どうせだから、火山にも行く?」
 ……何故そうなる。とは言えないな。
「火山……暑いんだが」
「平気だよ、別に。あでも、先に別な場所に行こう」
 言い出したのはお前だろうに。
 何でだ? ま、いっか。
「でもよぉ……一体何処に?」
「ん、まぁ、適当にね。じゃぁ、地表に降りようか」
 右手を掲げ明らかに何かを召喚しようとする水菜の腕を、俺は止めた。
 あれは、嫌だ。ジェットコースターは当分お預けでいい!
「ちょっと待て。俺がやる。いいな!」
「……え? 何考えてるんだよ、少年。第一どうやって」
 俺はポケットからカードのケースを取り出すと、水菜の前で振って見せた。
 これがあるぞ、と見せつけたわけだ。
「風を起こすのは無理だが、着地の衝撃を調整することはできるぞ。まぁ、どちらにしろお前の助けがいるがな」
 しばしの間、水菜は考えていたが、俺の案に賛同してきた。
 ま、俺にしてみれば予想通りでもあるし、こうじゃなきゃ困るんだよな。
 あの移動はトラウマになりつつあるし。
「やるやる! で、私は何すればいいの?」
「とりあえず、ここから下に落ちるだろ。その時に風を集めて欲しいんだ」
「風を? それは簡単だからいいけど、どうするつもり?」
 俺はケースからカードを取り出すと、一枚を選んで後はしまった。
「こいつだよ」
 俺の選んだカードは大アルカナ14番目のカード 節制だ。
 両手にツボを持つ天使が描かれている。そのツボの片方から片方へ液が流れている。
「えっと……どういう力を発揮できるの?」
 ま、当然の反応だな。タロットの説明するのもめんどくさいし。
「調整する能力があるんだよ。本来は相反した物を一つにまとめて調整するってんだけどな」
「ふ〜ん」
「わかったら……行くか!」
「了解!」
 俺達は爪月華の野原の端まで行くと、地面を蹴った。
 野原のある場所は、案外低く楽に行けるな……と思った。
 横に野原を支える木の幹が見える。
「少年、準備はいい?」
 右の人差し指と中指でカードを挟むと、水菜にOKの合図を送った。
「んじゃ、行くよ! 天駆けめぐる風 降りきたりて集まらん!」
 水菜は宙で持っていた錫杖を振った。
 錫杖はまた、リンッ! と高らかに鳴る。
 地面まで、後約8m強、余裕だな。
 風はすぐに俺達の下に集まった。しいて言えば、半径3mほどの球形に。
「魔力を秘めし、我がカード。今、節制の天使の力を持って、風を集め我の思うままの形と成せ!風葉創造(ふうはそうぞう)!」
 カードをしたの風に向けると、変化が現れた。
 集まられた風がうねり、フヨフヨと俺達の周りにまとわりつきだしたのだ。
 よし、地面まであと5m……このままもういっちょやるぞ。
「節制の天使よ、その力を持ってして、時の流れを緩やかなものに! 時空流異(じくうりゅうい)!」
 これは、水菜に話してなかった技なんだけどな。
 ま、この間の仕返しだ。これぐらいいいだろ。
 風で落下速度をゆるめた上に、時間の流れをゆっくりにすると、スローモーションのように着地することができた。
 着地と同時にカードの効果は切れるようにしておいた。
 その辺は口にしなくても、俺がカードに送る力で調節できる。
 だから、俺が地面につくと水菜の方にあった風もきえるわけで……
「酷いよ、少年。途中で切るなんて!!」
 俺より少し送れた水菜は、着地に失敗した。
 尻餅ですんだから、いいだろうに。
「そう言うなよ、俺が着地したらカードの効果切れるようにしてたんだから」
「む〜……それにしても、便利だねタロットカード」
「そうか? 俺としては魔法とかの方が便利だと思うぞ」
 カードでできることは限られてくる。
 なんせ、描かれたことや、カードの意味しか発揮できない力だからな。
 不満そうな水菜は、とにかく行こう! と、自分から話を逸らした。
 俺はカードをしまうと、笑ってそれに答えた。
 爪月華の野原の下もやはり野原が広がっていた。
 とはいえ、すぐ先からは岩場のようで、赤土がむき出しになっている。
 何もないといえば、そうだ。
 だが、この先に何か起こりそうな予感がしていた。


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